ジャンヌ・バリバール あなたの横顔はどこに隠れたの?

『何も変えてはならない』(ペドロ・コスタ、2010)

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暗闇の中に「苦しいわ」という歌声が響き、天井のスポットライトが星のように光り、ステージの女性歌手のシルエットがロングショットに浮かぶコンサートの場面のあと、撮影場所はレコーディング・スタジオに変わる。そこで画面に大写しになる右の横顔のクロース・アップから、この女性歌手が、フランスの映画女優ジャンヌ・バリバールであることが、視覚的にはじめて確認できる。
ペドロ・コスタ一流の厳格な構図とカメラポジションに、モノクロ撮影という好条件(?)が加わった画面は、本来なら文句のつけようがないところだが、暗い室内に女優の右の横顔を浮かび上がらせる見事すぎる照明は、ミュージシャンのリハーサル風景を捉えた映像にとっては、いささか審美的すぎる気もしないではない。
そう思ってみていると、案の定(?)、暗い室内でリハーサルやレコーディングをおこなうジャンヌ・バリバールを照らす光は必ずといっていいほど彼女の右の横顔および右半身に当てられ、当然の結果として、彼女の左横顔・左半身は影に隠れてしまうことになり、女優の顔の右半分と左半分に対する偏った光と影の配分による、妙にいわくありげな審美主義が画面を覆うことになる。
映画前半のクライマックスのひとつである、オッフェンバックのオペラ『ラ・ペリコール』のアリアの個人レッスンの場面でも、カメラはレッスンに四苦八苦するバリバールの表情を正面から捉えようとするのに、照明は顔の右半分だけを照らし、左半分はほとんど影に隠れてしまっている。

この一貫した右半面偏重のライティングは、なぜ右偏重なのかがわからないうえに、それがローキーのモノクロ映画の室内照明として完璧すぎるため、余計に苛立たしいものがある。
この<契約ではなく、友情によって成立している作品>*1には、まるで、女優の左の横顔には決して照明を当ててはならないという契約でもあるかのようだ。
そんな契約が破られるショットがひとつだけ途中に見られる。それは東京の谷中の喫茶店で二人の老婦人がタバコを吸うショットに続くコンサートの場面にインサートされる、控え室でジャンヌ・バリバールがひとりで座っているショットである。
この控え室のショットは、それまでの天井の明かりがすべて落とされていた室内場面と違って、天井の電灯が全部ついて明るいうえ、ギターの置いたテーブルに肘をついて座っているバリバールの左横顔・左半身がバッチリ映った貴重なものだ。
どうやら彼女の左横顔は、この控え室に隠れているらしい、と思うのだが、このショットは一瞬で消えてしまい、あとはオペラのドレス・リハーサルとコンサートのロングショットを例外とすると、相変わらず右半面偏重の審美主義的ライティングがバリバールの左横顔・左半身を、暗い室内に閉じ込め続ける。
しかし、バリバールの左横顔は、いつまでも控え室に隠れてはいない。アコースティック・ギターとテーブル・パーカション(?)が控え室に乱入し、バリバールがマイクなしで、素晴らしいナンバー『ローズ』を歌い始めるとき、すべてが逆転する。
この『ローズ』のセッションの場面の素晴らしさの一因は、劇場用パンフレットの解説文でクリス・フジワラ氏が指摘するように、レコーディングやコンサート用の機材を使わない映画の音、映画機材のみによって録音された映画の中だけの音楽が聞こえているということが、まずあるだろう。*2
だが照明に関しては、音とは逆のことがいえるのだ。天井の電灯が室内を満遍なく照らすこの場面では、おそらく映画用の照明機材は用いられていないと思われる。
この反審美主義的な明るい部屋で、右半面偏重の審美主義的なライティングの影に隠され続けてきたバリバールの左横顔・左半身が、アコギとテーブル叩きパーカション(!)とともに『ローズ』を歌い上げるのだ。*3
これだけでもじゅうぶん感動的なラストシーンといえるのだが、ペドロ・コスタの天才は、この控え室の左奥の壁に掛かった縦長の姿見用の鏡に、バリバールの右横顔・右半身をしっかりと映し出しているところにある。*4
ただ右半面偏重主義をひっくり返して、今度は逆に左半面偏重主義にして右半面を隠すようでは、何の意味もない。しかし、映画で女優の顔と身体の左右両面を同時にスクリーンに映すのは、たとえ鏡を使ったとしても、決して容易なことではない。
壁に固定された鏡と人とカメラとの微妙な位置関係を考えると、『ローズ』をノリノリで歌うバリバールの左横顔・左半身に対応して、右横顔・右半身をぴったりと縦長の姿見の鏡像内に収めた、ペドロ・コスタのカメラポジションの適確さ、厳格さはじつに恐るべきものだ、と云わねばならない。

もしも『何も変えてはならない』が、サイレント時代の恐怖映画を連想させるところがあるとするならば、その連想の真の原因は、モノクロの暗い画面設計によるものではない。
それは、主演女優が歌っている最中に、鏡の外部と内部で左右真っ二つになるという、そのカメラポジションの厳格/幻覚によるものだろう。
『何も変えてはならない』を見るためには、ジャンヌ・バリバールの左右の横顔に気をつけろ、と云っておこう。

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*1:「群像」2010年8月号インタビュー「探求の孤独」ペドロ・コスタ佐々木敦http://shop.kodansha.jp/bc/books/bungei/gunzo/

*2:クリス・フジワラ「音楽という謎ー『何も変えてはならない』」篠儀直子訳

*3:このラストシーンの明るい部屋は、東京のラジオ局の楽屋で、ブームマイク1本で、即興的にモノラル録音されたとのこと。http://www.flowerwild.net/2010/07/2010-07-25_163452.php

*4:この鏡に映ったバリバールの右半身を見て泣かないヤツはバカだ、と断言したいところなのだが、結局は、これを見て泣くヤツの方がバカなのだろう。