『ブッダ・マウンテン〜希望と祈りの旅』(リー・ユー)

http://www.buddha-mountain.com/introduction.html
http://www.tsutaya.co.jp/works/60004315.html


予告編・本編ともに素晴らしい。
2010年第23回東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞、最優秀女優賞(ファン・ビンビン)受賞作品がようやく一般公開されたが、文句なしの傑作である。
『ロスト・イン・北京』(2007)に続くリー・ユー作品出演で、歌手としての魅力も披露しているファン・ビンビン、若い頃の佐藤浩市の不機嫌さを連想させるチェン・ボーリン仏頂面、癒し系の裸体で画面を和ませるフェイ・ロン(体重はヒミツw)。
このトリュフォー的(?)男女三人の組み合わせがまず魅力的だが、その三人の大家としてアパートで共同生活することになる、元京劇女優役のシルヴィア・チャンが何よりも素晴らしい。
どことなく左幸子を思わせる、切れ長の眼で視線を宙に彷徨わせる彼女の横顔を、カメラは何度となく捉えて印象的だ。
 
(以下ネタバレあり)
 
シルヴィア・チャンの、どこを見ているのか定まらないその視線は、2008年5月の四川大地震の日に自動車運転中に死んだ息子の姿を追い続けているかのようだ(死後一年して、彼女は息子の死亡届をようやく提出する)。
ブッダ・マウンテン』では、人物たちは正面から向き合おうとせず、ほとんど目を合わせることなく会話する。当然、古典的な切り返しショットは皆無だ。
ほぼ全編手持ちカメラによるツォン・ジエン*1の見事な撮影は、その合わずに浮遊する視線を、いかにも現代的、流動的なカメラワークで人物間を左右・上下にパンしながら追っていくのだが、その被写体が、列車、バイクといった乗り物に代わった瞬間、ショットの完成度と官能度が一気に高まるのが、この映画の一つの見どころになっている。
2009年の成都を舞台にした、元京劇女優と男女三人の共同生活は観音山(ブッダ・マウンテン)の上でシルヴィア・チャンが画面からとつぜん消失することで終わりを遂げる(三人が列車の警笛に気を取られた一瞬のあいだに、シルヴィア・チャンは画面から消失してしまう)。
三人だけが乗った列車(貨車)を捉えたラストシーンでは、トンネルを抜けて走る貨車に座って後方をみつめる三人を正面から捉えたショットが、三人の目線から捉えたトンネルの向こう側の光のショットとカットバックされる。この作品中初めてといっていい、人物の視線を正面から捉えた構図‐逆構図の切り返しショットである。
冒頭部の京劇の稽古場のシルヴィア・チャンの登場シーンでは、稽古場を出た彼女の背中を追ったカメラが通路の暗がりに入ると、その暗がりのショットからトンネルの暗がりを抜けて走行する列車の後方カメラにジャンプカットしていたことを思い出そう。*2
その列車のショットが、バイク・タクシーで客を運ぶチェン・ボーリンのショットに切り替わると「2009年四川省成都」という字幕が入り、そこで初めて時間と場所が特定されていた。
この映画で「2009年の成都の物語」が始まったのは、正確にはチェン・ボーリンの登場シーンからのことで、冒頭部のシルヴィア・チャンの登場シーンは、時間も場所も不確定なものであったのであり、稽古場を出て暗がりに消えたシルヴィア・チャンは、そのままトンネルを抜ける列車に変身した、ほとんど幽霊のような存在だったのだ。
そんな彼女が、列車の音をきっかけに山上から消失するということには、なんの神秘も謎もない。それは映画的に当然の結末というべきだろう。
「孤独は永遠じゃない。共にあることが永遠」
ラストで列車に乗ってトンネルを抜けることで「2009年の成都の物語」を終えようとしている三人は、冒頭「2009年の成都の物語」が始まる直前に列車に変身してトンネルを抜けたシルヴィア・チャンと、文字通り「共にある」のだ。トンネルを抜ける列車は特定の時間に縛られることなく走行し続けることによってまさに「永遠」である。
またシルヴィア・チャンは列車に変身しただけでなく、暗がりの中でトンネルとも一体化したのだと考えれば、車上の三人と切り返しで視線を交わしている視点もまた、トンネル側から見返す彼女のものということになる。
劇中まともに視線を交わすことのなかったかれらが、ようやく正面からの切り返しで見つめ合うことが可能になったのだ。
永遠にトンネルを抜ける列車の上で、共にあること、見つめあうこと。
ここには、視点と時間構造について考え抜いた作家ならではの、ショットの力による映画的奇跡がある。*3

ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅 [DVD]

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*1:Zeng Jian、曹剣「ツアン・チアン」とも表記。『スプリング・フィーバー』(ロウ・イエ、2009)の撮影監督。

*2:暗がりからトンネルへのつなぎを単なる暗転と言うこともできるが、ジャンプカットの語義を「跳躍‐切断」とリテラルに捉えるならば、ここには「暗闇の中の跳躍‐切断」がある。

*3:日本公開版とは別編集による101分バージョンが存在するが、このバージョンでは冒頭のシルヴィア・チャンの登場シーンもなければ暗がりからトンネルを抜ける列車へのジャンプカットもなく、「2009年成都」という時間と場所に関する字幕もない。そのために、シルヴィア・チャンが列車の音をきっかけに山上から消失するラストが日本公開版と違って、映画的必然性を欠いた、一種の超常的な神秘現象におさまっている。2つのバージョンの冒頭部を見比べると、編集(+追加撮影?)による進化を実感できるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=mzJrx55GBfI