『スパ2』と『裸の拍車』のヒロインは同級生

スパイダーマン2』論‐序説

2002年のサム・ライミ監督『スパイダーマン』シリーズ第1作(以下『スパ1』と略記)から2年後に公開された第2作『スパイダーマン2』(以下『スパ2』と略記)は、前作に出揃ったシリーズ主要メンバーの2年後の姿を描いている。スパイダーマンとしての特殊能力を身に着けたピーター・パーカー(以下PPと略記)は、大学で原子物理学を学ぶ苦学生として、アルバイトの仕事とスパイダーマンとしての活動(ボランティア活動!)との両立に四苦八苦しており、女優志願の幼馴染みであるメアリー・ジェーン(以下MJと略記)との淡い恋もうまく発展できていない。
『スパ2』でPP/スパイダーマンが対決する相手は、核融合実験の失敗で妻を失い、金属製アームと合体した天才物理学者ドクター・オクタヴィアス/ドクター・オクトパス(以下ドク・オクと略記)であり、脊髄に融合した4本の伸縮する金属製アームでビル、電車と、あらゆる壁面に張り付いて自在に移動するドク・オクとスパイダーマンとの対決場面は、先端的なCGと古典的な活劇編集、映画的記憶との幸福な結合例といえるだろう。*1
映画史的記憶との照合ということでいえば、高層ビル上の移動/落下場面でのヒッチコック作品との関連は明白だろうが、ここでは『めまい』(アルフレッド・ヒッチコック、1958)の主演男優ジェームズ・スチュアートと名コンビを組んで、何本もの「斜面ウエスタン」の傑作を撮ったアンソニー・マンとの関連について、ふれておきたい。
銀行構内から始まって、メイおばさん(ローズマリー・ハリス)を人質にしたドク・オク(アルフレッド・モリーナ)とスパイダーマンとが高層ビルの壁面上で対決する場面は、まるで『裸の拍車』(アンソニー・マン、1953)の全編を超コンパクトに圧縮したかのような印象を与えるから、というのがその主たる理由だが、『裸の拍車』と『スパ2』との映画史的関連というか因縁は、それにつきるものではない。
5,000ドルの賞金首の殺人犯ロバート・ライアンが、終始不敵な笑みを浮かべつつ、悪者仲間の遺児ジャネット・リーを、養女とも情婦とも人質ともつかぬ形で従えながら、相手より高い位置に陣取ることで、断崖・斜面上でのジェームズ・スチュアートとの対決において優位を保ち続ける、というのが『裸の拍車』の基本的な対立図式である。
そこへ、インディアンの酋長の娘との「淫行騒動」から不名誉除隊処分を受けた元騎兵隊中尉ラルフ・ミーカーと砂金探しの老人ミラード・ミッチェルとの5,000ドルの賞金の分け前争い、ミーカーを追うインディアンの部族との突発的な銃撃戦が加わって、物語の展開はやや複雑な様相を呈していく。
裸の拍車』のジャネット・リーを間に挟んでのロバート・ライアンジェームズ・スチュアートとの対決図式を、西部の急流断崖絶壁からニューヨークの高層ビルの壁面上へといわば「CG移植」したうえで、『スパ2』はそれをコンパクトに反復、変奏している。
『スパ2』の高層ビルの壁面も、『裸の拍車』の断崖絶壁の岩肌も、映画においては共に「斜面/垂直面」として、視覚的な緊張感と転落のサスペンスを導入していることにまず注意しよう。*2
拍車を岩に打ち込んで崖をよじ登っていくジェームズ・スチュアートと、ビルの壁面を4本の手足で張り付いて這い上がっていくスパイダーマンは、上る速度の差、CGの有無といった差異を越えて、共に壁面を垂直によじ登るという、同質の映画的身振りを演じながら、上方の敵に迫ろうとしているのだ。
また場面は違うが、手先から糸をうまく出せずにビルから転落するスパイダーマンと、ロープをうまくつかめずに崖から転落するジェームズ・スチュアートとの間にも、やはり同じ映画的な身振りが見出せるだろう。
ロープをうまくつかめず崖から転落するジェームズ・スチュアートは、器用にロープで崖をよじ登るラルフ・ミーカーに、賞金の分け前争いで優位を握られてしまうのだが、精神的スランプから糸をうまく操れずにビルの壁面を転落する『スパ2』のPP/スパイダーマンは、転落と登攀不能性という点から見れば、『めまい』よりもむしろ『裸の拍車』のジェームズ・スチュアートの方に似ているというべきだろう。*3
こうした垂直面の登攀/転落に関する優劣関係は、自由に空中を飛行するグリーン・ゴブリンが敵役だった前作『スパ1』の空間構成においてはなかったものだ。それは垂直面をつたって上昇・下降するための壁面をアクションの基本的な足場とした『スパ2』の空間構成においてあらためて明確化したものであり、そのために『スパ2』はアンソニー・マンという名の、垂直面・斜面に関わる映画史的記憶を呼び覚ますことになったのだ。
裸の拍車』と『スパ2』との共通項では、黒メガネで強調されたアルフレッド・モリーナの偽悪的な笑顔と、ロバート・ライアンの不敵な笑みという、2人の悪役俳優の表情の類似も印象深いものがある。
しかし、登場人物/俳優の役割に関する最も重要な共通項ということでは、人質役の美女のとっさの機転が、態勢を整えて待ち伏せする悪役の優位を一気に崩すタイミングの見事さをこそ、まず一番に挙げなければならないだろう。
ウィンチェスター銃’73』(アンソニー・マン、1950)をはじめとする、アンソニー・マンジェームズ・スチュアートのコンビによる一連の斜面ウエスタンでは、高所で待ち伏せする敵との優劣関係をいかに逆転するかが大きなポイントになっているが、その逆転の契機に女性が決定的な役割を演じているのが、この『裸の拍車』なのである。
しかも、その人質役の美女を演じているジャネット・リーローズマリー・ハリスの2人が、共に1927年生まれの「同級生」であるというのは、まさに映画史的必然といわずして、いったい何というべきだろうか。*4
1927年生まれの美女2人のほかに、『裸の拍車』と『スパ2』との間には、じつはもうひとつ恐るべき共通点がある。
それは、ロバート・ライアンの役名が「ベン」であるということだ。前作『スパ1』で、PPが見逃した強盗に殺された「ベンおじさん」こと、ベン・パーカーと同じ「ベン」である。このベンおじさんという死者に関する記憶こそが『スパ2』という作品の負の焦点というべきものをなしているのだ。
『スパ2』の主題論的な構造を概観すると、そこには告白、遅延、負債という、3つの主題系が見出すことができるだろう。
告白の主題系は、主にスパイダーマンの正体とその秘密に関わる。それだけなら他の覆面ヒーローものと大差はないが、この主題系は前作『スパ1』で強盗を見逃したPPのベンおじさんの死に対する責任、その死の真相の告白ということに深く関わる。
自分が見逃した強盗によってベンおじさんを死に至らしめたPPは、その死の真相と自分の責任について、メイおばさんに告白していなければいけないのだが、死後2年たってもその告白ができていない。PPはベンおじさんの死の真相の告白を前作から2年間も遅らせたまま、最愛のメイおばさんとの関係を続けていることになる。告白の主題系は、こうして遅延の主題系につながっていく。
遅延の主題系に関していえば、冒頭のコミカルなピザの配達場面から、『スパ2』のPPは徹底して遅刻常習犯として描かれている。*5
一見コミカルな遅刻の描写も、2年前の前作『スパ1』からの告白の遅れとともに、遅延の主題系を形成していると見なければならないだろう。PPは『スパ2』という作品が始まる以前に「2年遅れ」という解消不可能な遅延を犯しているからこそ、作品開始早々、遅刻を連発してしまうのだ。*6
負債の主題系は、ベンおじさんの死によって破綻したパーカー家を襲う請求に明白だが、それはローンの返済の遅れ、アパートの家賃の支払いの遅れというかたちで遅延の主題系とも強い相関関係にある。
またパーカー家の経済的な債務の根底には、ベンおじさんの死の真相の告白をズルズルと2年間遅らせてきた、PPのメイおばさんに対する「債務感情」を透かし見ることも可能だろう。
このように『スパ2』の告白・遅延・負債という3つの主題系は、前作『スパ1』でのベンおじさんの死から生じ、そこを中心点としながら、作品全体の進行を大きくドライヴしていく。
裸の拍車』では、こうした『スパ2』の主題論的構造を予見していたかのように、激流にロープでつながれた「ベン」の死体が、最後になって決定的な役割を演じることになるのだから、映画史というのは怖ろしい。
5,000ドルの賞金のかかった「ベン」の死体を、川の激流からロープで引きずり上げようとする、怒り狂った形相のジェームズ・スチュアートに対して、亡父の親友「ベンおじさん」を殺されたばかりのジャネット・リーが「ベンの亡霊を引きずって生きていくつもり?」と、まるで『スパ2』の「同級生」ローズマリー・ハリスのために書かれたかのような、悲痛なセリフを投げかける。
激流から、ロープにつないだ「ベン」の死体を狂ったように引きずり上げるジェームズ・スチュアートの姿勢は、『スパ2』でクモの糸を引っ張るスパイダーマンとそっくりに見える。*7
(2012年10月2日初出)
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映画崩壊前夜

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*1:葛生賢氏のブログ参照。http://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/20040713

*2:< ― 2人が壁づたいに闘う場面での落下の繰り返しなど、タテ構図のアクションをこれほど強調した演出は画期的だと思いました。 ● それは僕が今回、強く意識した点だね。もともと、この映画はワイドスクリーンで撮影すべきでないと思っていたんだ。ニューヨークは高層ビルが立ち並んでいて縦長の構図だからね。映画を正当に撮るために、ワイドスクリーンの向きを縦に変えたかったよ(笑)。>独占インタビュー「サム・ライミ監督が語る『スパイダーマン2』」、日経エンタテイメント2004年8月号、38頁、http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/200408/index.html

*3:『めまい』で塔から転落するのはキム・ノヴァクの方であって、ジェームズ・スチュアートではない。『めまい』のジェームズ・スチュアートの悲劇は、彼自身が決して転落せずに、彼を助けようとした警官や、彼が守るべきブロンド美女の方が転落してしまうことにある。

*4:正確には「同学年」というべきだが、ここは語感のよさを優先!

*5:『スパ2』で最も重要なキーワード「late」が、そこで連発される。

*6:蓮實重彦は『スパ1』のPPについても「スクールバスにも乗り遅れ」「肝心の待ち合わせ場所にも決まって遅れ」と、遅延の主題を鋭く指摘している。ただし前作から「2年遅れ」で始まる『スパ2』における遅延の主題は、その構造的な意味が『スパ1』とは決定的に異なっていることに注意しなければならない。(蓮實重彦『映画崩壊前夜』、230‐234頁、青土社、2008)

*7:『スパ2』の最後の見せ場である、核融合装置を川底に沈める場面が、これまたアンソニー・マンジェームズ・スチュアートのコンビによる『雷鳴の湾THUNDER BAY』(アンソニー・マン、1953)全編を圧縮したかのような印象を与えるのが、たまらないところだ。また、危険きわまりない核融合装置を沈める先が、遠い海の底ではなく川の底であるのはなぜだろうか。『怒りの河 BEND OF THE RIVER』(アンソニー・マン、1951)のジェームズ・スチュアートアーサー・ケネディとの川の中での殴りあいを思わせる、水浴びファイトを経て、正気に返ったアルフレッド・モリーナが、無根拠な確信をもって口にする「River」というセリフもまた、涙が出るほど感動的だ。ここにも「映画と川の流れを結びつける絆」(ジャン・ルノワール)を見出すべきなのだろうか。