『僞大学生』(1960)


http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2014-7-8/kaisetsu_15.html
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2014calendar7-8.pdf

大島渚『日本の夜と霧』とほぼ同時期に公開され、いまだソフト化されていない増村流「学生運動批判映画」。*1
4浪で大学受験を失敗した浪人生・ジェリー藤尾は、息子の合格を待ちわびる郷里の母親を安心させるために、東都大学(東大!)の偽学生となる決意をする。東都大学の新左翼学生運動グループの支部長・伊丹一三(十三)の逮捕現場に、東都大学の学生服姿で居合わせたことをきっかけに、ジェリーは東都大学の学生運動に参加し、そこで藤巻潤若尾文子といったメンバーと交流を深めるようになる。
ほどなく偽学生であることがバレて、スパイの嫌疑をかけられたジェリーは、藤巻、若尾らグループのメンバーたちに椅子に縛りつけられたうえ、大学構内に3日間監禁拘束されて暴れ続ける。
しかし、食事と大小便の世話を秘密裏に行わなければならない学内での監禁生活においては、監禁拘束される側のジェリー以上に、監禁する学生側のほうが憔悴していくさまが強調されるのは、いかにも増村らしい演出だ。
3日目になって、若尾文子の手に噛みついて、監禁から脱出逃亡に成功したジェリーは警察に保護されると、学生運動グループを監禁罪で告発する裁判の警察側証人として利用される。
一方、学生グループ側も伊丹を中心に、徹底した証拠隠滅とアリバイ工作で裁判を図った結果、裁判は学生側に有利に進んだうえ、東都大学教授による精神鑑定の結果、ジェリーの証言は信憑性が低いと不採用になり、ジェリー自身は精神病院へ治療・入院させられることになる。
裁判は、学生側の勝訴となり、大学では伊丹が中心になって盛大な報告会が開かれるが、正義感の強い若尾文子はひとりだけ、学生の偽証を許せずに、自身の罪も含めて告発しようと考えている。
その報告会の会場へ、田舎から上京した母・村瀬幸子に連れられたジェリー藤尾が登場する。まず母親の村瀬が学生たちに息子の無礼を謝罪し、次にジェリーが壇上に立つのだが、若尾文子はそのときジェリーに監禁の事実があったことを証言するように促し、ここで事態はさらなる逆転に動くかのように見える。
ところが、不思議な笑顔を浮かべたジェリーは、監禁なんてなかった、なぜならぼくは本当の東都大学の学生だからだ、そう言って、若尾文子の言葉をあっさり否定すると、さらに若尾の頬を軽く指で突っつき、正義と真理を貫く東都大学の学生であることは、ぼくの誇りであり、この愛する東都大学のためにみんなでバンザイをしましょう、と、会場内の学生たちに向かって堂々たるバンザイの音頭を取ろうとするのだ。
すると画面はジェリー藤尾を正面から捕らえたバストショットから、檀上に立つジェリーの背後のカメラポジションから学生たちでいっぱいの会場を「どんでん」で捉えたショットに切り返される。
「精神異常」のはずのジェリーの言動にあっけにとられた学生たちは、最初は誰もバンザイに応ずる素振りさえみせず、画面は一瞬凍りついた様相を呈する。
しかし、ジェリーはそんな会場の雰囲気に臆することなく、新入生の音頭ではバンザイはやはりダメなんだろうかと、伊丹支部長に相談するように話かけるのだ。
一瞬うろたえた伊丹はそんなことはない、とあわててジェリーに答えると、すぐに取り繕うようにして、会場の学生たちにジェリーの音頭に従って、バンザイをするように指示を出す。
こうしてジェリーが再び壇上から学生たちに向かって、掌を広げ両手を前に差し出しバンザイの音頭を取ると、今度はジェリーのバストショットから会場の学生たちを捉えたフルショットに、カメラは再びどんでんを返す。それと同時に、会場の学生全員がジェリーの音頭に従って「東都大学バンザイ!」を叫ぶ。
すると壇上のジェリーは、両手の掌を広げ差し出して、藤巻潤若尾文子ら監禁グループ学生の手を握り締める。感動的な握手に、会場からは万雷の拍手が起こり、偽学生の監禁など、最初からなかったことになるのだ(ここでジェリー藤尾が両手で広げてみせる掌は『UNLOVED』以降の万田邦敏が主題論的に継承することになるだろう)。
映画の最後は、精神病院の通路を「保守粉砕」を叫びながら往復するジェリーの姿が、看護士たちに「新手のキチガイ」として揶揄されるところで終わっている。
とにかく壇上のジェリー藤尾の「バンザイ!」ショットから、会場の学生たちへの「大どんでん返し」ショットの視覚効果が凄まじい。
まず壇上のジェリーと若尾との芝居で、ピランデルロ的な正常/異常の境界線の揺らぎが演じられているのだが、その揺らぎが「東都大学バンザイ!」という叫び・アクションで壇上から会場に投げつけられる。
その政治運動の正常/異常をめぐる重大な変換・伝播が、ジェリー藤尾のバストショットから、ジェリーの背後のカメラポジションから会場の学生たちを捉えたどんでん(180度切り返しショット)によって鮮明に視覚化されているのだが、壇上の特定の個人と会場の不特定多数との視線の交錯が含意する政治的力学を露呈させているという意味で、このどんでんは単なる映画的一技法に収まらないものになっている。
ここでは「東都大学バンザイ!」というバンザイの音頭とどんでんが組み合わされているが、もしかしたら増村が本当にやりたかったのは「東都大学(東京大学)バンザイ!」よりも「天皇陛下バンザイ!」+「大どんでん返し」という、より大掛かりな映画的=政治的実践だったのではないだろうか。
少なくとも増村保造にとって世代的に「バンザイ!」といったら、それは「天皇陛下バンザイ!」以外のなにものでもなかっただろうから。
はたして「天皇陛下バンザイ!」+「大どんでん返し」という、増村未遂の映画的=政治的プロジェクトを21世紀に継承・実践する映画作家は誰かいるだろうか。

あの頃映画 日本の夜と霧 [DVD]

あの頃映画 日本の夜と霧 [DVD]

大島渚と日本

大島渚と日本

接吻 デラックス版 [DVD]

接吻 デラックス版 [DVD]

*1:『日本の夜と霧』と『僞大学生』の関連性については、四方田犬彦が鋭く指摘している。四方田犬彦大島渚と日本』105-107頁、筑摩書房、2010年