『乳房よ永遠なれ』(田中絹代、1955)



maplecat-eveさんの日記が紹介しているビクトル・エリセ白紙委任状のセレクションの中に、田中絹代監督作品『乳房よ永遠なれ』が日本映画として1本だけ選ばれている。http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20140114*1
論じられることの少ないこの傑作について、2009年NFC田中絹代特集の際に書いた文章を改稿・再掲し、あらためて「映画監督」田中絹代の偉大さをアピールしておきたい。*2,*3
『乳房よ永遠なれ』(田中絹代、1955、日活、モノクロ、スタンダードサイズ)
『乳房よ永遠なれ』は、田中澄江脚本による監督第3作。木下恵介脚本による監督第1作『恋文』(1953)、斎藤良輔小津安二郎脚本による第2作『月は上りぬ』では、いくつかの優れたショットをもちながら、まだ習作の感じが抜け切れなかった監督・田中絹代が、第3作目にして、同性・同姓・同世代の脚本家のサポートを得て、見事な演出力を発揮した傑作。
 
(以下、ネタバレを含む)


北海道の「女流歌人」で、バツイチ、一男一女の母で、乳癌による死を前にして「恋心7・歌心2・親心1」の割合(?)で生き抜いたヒロインを、月丘夢路が優雅なエロティシズムを漂わせながら、悲壮感をまったく表に出さずに演じているのがまた素晴らしい。
札幌市内や、酪農地帯など、北海道ロケを全面的におこなっているのだが、そのロケとセット撮影部分とが巧みにつながって違和感がないのは、『あにいもうと』(1953)では助監督修行もさせられた「アドバイザー」成瀬巳喜男からの学習成果の現れだろう。
離婚後に出戻った実家の馬具店の階段下の廊下のショットや、入院後の放射線病棟の廊下のさりげないショットは、小津、成瀬、清水作品から学んだものだろうが、句読点の役割を果たしていて、不自然さをまったく感じさせない。
そして最も素晴らしいのは、女学生時代からの親友・杉葉子の夫で、短歌仲間の森雅之への恋心の描き方である。
離婚後、弟・大坂志郎の結婚式の日に、実家に居場所のない月丘夢路は、娘を連れて親友・杉葉子の家を訪ねるが、杉は所用で外出し、家には入浴中だった夫・森雅之月丘夢路と娘の三人が残される。*4
森と月丘のふたりは、書斎でアルバムを広げながら、森・杉夫婦の洞爺湖への新婚旅行の写真や、月丘、森の結婚前の写真を見ている。
そこで月丘夢路森雅之への昔からの想いを打ち明けようとするのだが、それを知ってか知らずか、森雅之は書斎をすっと抜け出すと、台所のストーブの横で眠っている月丘の娘を揺り起こしに行く。
窓の外にはいつのまにか雨が降っていて、森は傘を差して月丘と娘を川べりにあるバス停留所まで送ると、別れ際に月丘の短歌を東京の新人賞に応募することを告げて、バスに乗った月丘たちを見送る。
雨の降る川べりの道をバス停留所まで森が月丘親子と傘を差して歩く姿といい、バス停から傘を差した森が雨の中を月丘親子が乗ったバスを見送るショットといい、ここでの演出、画面展開はあまりにも素晴らしい。
しかもこの雨のバス停には伏線があって、じつは最初に杉葉子が出かけるとき、まだ晴れているその同じバス停で杉葉子がバスに駆け乗るショットが一瞬映っていて、その短い鮮やかな運動感の残余が、余計この同じバス停の雨の情感を増幅する構成になっているのだから、これはもう巨匠クラスの堂々たる仕事ぶりといっていいのではないだろうか。しかも、この直後に森はあっさり病死してしまい、森が応募した月丘の短歌が東京で新人賞を受賞するのだから、この雨の場面は説話上も重要な転換点になっていたのだ。
新人賞受賞で話題になり歌人として成功しながらも病気が進行し、乳癌の切除手術後は、東京の新聞記者・葉山良二との「最後の恋」が物語の中心になるのだが、月丘夢路が葉山良二との病室での最初の会見前に、月丘が胸パットを入れブラジャーを着けて「完全武装」する描写が醸し出す苦いエロティシズムは、まさに女優監督と主演女優との共犯関係のなせる業といえるだろう。
月丘夢路と葉山良二とはやがて病室のベッドの上で結ばれるのだが、その直前に月丘が体験する、霊安室へ遺体を泣きながら運ぶ一行の後をついて夜の廊下を歩く、ホラー映画のような夢うつつの場面は、中川信夫『亡霊怪猫屋敷』(1958)の夜の病院の場面を一瞬連想させて鬼気迫るものがある。
この映画の演出のもうひとつ特徴に、鏡の使用法がある。
劇中、月丘夢路が手鏡を見る場面が何度かあるのだが、カメラがそのとき鏡の中に見出すのは月丘の顔ではなく、その鏡の反映によって月丘が見ている月丘の背後または左右の人物である、という屈折した視線=鏡像装置として鏡を使用しているのだ。
最後に、葉山良二と別れる場面で、月丘の持つ手鏡に一瞬、月丘の左目が映るが、それは葉山の鏡像と入れ替わりになるので、ここでは手鏡によって、月丘の左目のアップ(見る側)と葉山良二のウェストショット(見られる側)との切り返しがおこなわれている、というべきだろう。手鏡に屈折・反映した、末期の乳癌の女性患者の視線の表象。
とにかくこれは驚くべき傑作だ。

島津保次郎清水宏小津安二郎五所平之助溝口健二成瀬巳喜男といった監督たちの現場で、映画の知識を学んできた田中絹代の演出力は、女性監督としては、たとえばアニエス・ヴァルダソフィア・コッポラよりは数段上であるのは間違いない。
再評価をもっと進めるためにも、たとえばアイダ・ルピノ×田中絹代映画祭といった、日米女優=監督対決企画なんかを、ぜひ実現してほしいものだ。
(2014年1月14日初出)

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*1:ビクトル・エリセはしかし、いったいどこで、どのようなプリントで、この作品を見たのだろうか。日本国外に、外国語字幕付きのプリントが存在するとは思えないのだが。

*2:加藤幹郎氏の『乳房よ永遠なれ』論は必読。映画学者による模範的で素晴らしい批評。加藤幹郎『日本映画論1933‐2007』160−170頁、岩波書店、2011年

*3:CineMagaziNet!Essays(2016年2月14日)に興味深い『乳房よ永遠なれ』についての論考が加わった。http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN19/PDF/kinuyo_article2015.pdf

*4:歌の会で、一人先に帰る月丘と一人だけ遅れてきた森のふたりは、杉を会場に残したまま、札幌街頭ロケで会話を交わし、三人が同一画面内で一緒になることはない。森・杉夫妻の家を訪ねる場面でも、森は入浴中で、浴室の森と外出する杉と月丘とは、絶妙なカット割りですれ違ったまま、同一画面内で三人一緒に映ることはない。月丘、森、杉の三人は、アルバムの写真の中以外では決して一緒になることはないまま、その微妙な三角関係を維持する。そして森の死後、森が入っていた浴槽に月丘が入浴しながら、森への思慕を杉に告白し「昇天」する場面で、その官能性は頂点に達するのだ。これほど微妙な友愛と嫉妬と官能と死の影とが入り混じった「三角関係」の描写は、他にはなかなか思い当たらない。