『接吻』(万田邦敏)

ネタバレ注意!http://seppun-movie.com/

https://www.youtube.com/watch?v=KMpDB2AdhB8
3のドラマ
劇場長編第3作、一家3人殺害犯、三者三様な男女3人の三角関係、第3の男・篠田三郎の好演、コンビニはスリーエフ…。こうしてみると『接吻』は3という数字にとり憑かれた映画だと思う。
「死刑囚との獄中結婚」という仙頭プロデューサーのお題(無理難題?)から出発したこの映画を「恋愛映画」と呼べるかどうかは、あらためて論じるとして、これが殺人と結婚をめぐる男女3人の悲劇的な三角関係を描いた傑作であることは間違いない。
テレビ局に犯行声明メールを送信し、テレビカメラ前での笑顔の逮捕場面を演出し、公判で黙秘パフォーマンスを演じ続ける一家3人殺害犯・豊川悦司
豊川の笑顔をきっかけに、何かにとり憑かれたように事件と彼の経歴をノートに書き込み、公判を傍聴し、差し入れと手紙を送り始める、左利きの孤独なOL・小池栄子
黙秘を続ける豊川の控訴に尽力する一方、小池から豊川との仲介を依頼され、三角関係の中心的役割を演じることになる職務熱心な弁護士・仲村トオル
この三者三様の男女3人が取り結ぶ三角関係の複雑な内的構造が、ラストのあの口唇的カタストロフィともいうべき接吻の衝撃を呼び出しているのだが、そのラストの衝撃を説明するためには、まず『接吻』全編における文字と声をめぐるコミュニケーション構造を俯瞰しなければならない。
文字と声のコミュニケーション
左手でボールペンの音をカタカタ鳴らしながら*1、ノートと便箋に文字を書き込む小池栄子を中心に、文字および書くことによって『接吻』のコミュニケーションが交わされていることを見て取るのはたやすいだろう。
しかし小池栄子の「左利きのエクリチュール」に目を奪われがちだが、犯行声明メールをテレビ局に送信して逮捕劇を演出するという、異常な文字コミュニケーションを先に実践したのは、一家3人殺害犯・豊川悦司であることを忘れてはならない*2
彼の逮捕時の沈黙・微笑と、公判での黙秘パフォーマンスは、この最初の犯行声明メール、および小池への返信の手紙とあわせて(黙秘+文字)、いわば反音声的=文字コミュニケーションという複合的な主題系を形成している。
小池栄子の「左利きのエクリチュール」は、この「文字+黙秘」という複合的な主題系の一端を過剰に継承、発展させたものにすぎないのだ。
暗証番号と領収書
ここで時系列をいったん整理して『接吻』で最初に書かれた文字を考えてみよう。すると、それは「1027」という井上家のキャッシュカードの暗証番号だという、恐るべき事態に思い至るだろう。
銀行の監視カメラを見つめる豊川悦司が、キャッシュディスペンサーから現金50万円を引き出して、自ら警察に通報する場面で彼が捨てる、血の滲んだメモ用紙に書かれた4桁の数字が、『接吻』におけるエクリチュールの起源となっているのだ。
その4つの数字を書き留めたのが豊川なのか、撲殺された父親なのかはわからない(母親の検死結果は即死だ)。しかし、豊川と被害者とのあいだに、ハンマーによる打撃以外のコミュニケーション、意思の疎通があったことを、そのメモ書きの数字は残酷に証言している。この映画では事件の被害者の悲鳴はすべてカットされているぶん、このしわくちゃな数字の書かれたメモ用紙に滲んだ血の痕跡*3は、やりきれない印象を残す。
しかし、もっと恐ろしいのは、この暗証番号のメモが、小池栄子の深夜帰宅のタクシー代領収書「12,470円」と対応関係を結び、豊川と小池との「親近感=類似性」を裏打ちしている主題論的−説話論的な構造とそのメカニズムだろう。
タクシー代の支払いを条件に同僚の残業を引き受けた小池は、豊川の逮捕映像を見た瞬間、事件の記事の載った新聞をまとめ買いに夜のコンビニ*4、に走り、そこでタクシー代領収書「12,470円」を捨てる。コンビニから帰宅した小池は一家3人殺害犯・豊川の経歴をノートに書き始める。
この領収書を捨てる動作は、会社の同僚らとの決別の身振りであり、世間への「戦闘開始」の合図である。夜のコンビニで領収書を捨てた小池栄子は、世間との「戦闘開始」にあたって、金銭に関わる数字の書かれた紙片を捨てるという身振りを、一家3人殺害犯・豊川悦司と、主題論的かつ活劇的にあらかじめ共有していたからこそ、やがて弁護士・仲村トオルの「心配」を振り切って、豊川との婚姻届への署名という、究極のエクリチュールの共同作業に向かって、突き進んでいくことになるのだ。
この小池の独走は、合法的なエクリチュールの論理*5に基づくものであって、単なるストーカーの違法な暴走とはまったく異なるものであることには注意してほしい。
(2へ続く)

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*1:つけっ放しのテレビの音声が流れるなか、または小池栄子が手紙を音読するあいだ、ボールペンの筆先が紙にこすれる音が通奏低音のように鳴り続けるというのが、『接吻』の基本的な音響設計となっている。

*2:『接吻』では豊川悦司だけがパソコンと携帯電話を私有し、そこからメールを記入・送信する

*3:この「血」は、ゴダール流に割り切れば、赤褐色のインク類によってつけられた染みにすぎない。

*4:この店が「セブンイレブン」などではなく、よりによって「スリーエフ」なのが『接吻』の恐ろしいところだ。

*5:小池栄子の箪笥の書棚には刑法・裁判関連の専門書が並んでいる。