年末恒例2007年?新旧紅白ベスト…

ベストテンを挙げられるほど律儀に一般公開の新作を見ていないので、ここでは新作・旧作にこだわらずに年末恒例の紅白気分で(参加すること意義がある!)、2007年にスクリーンで見て印象に残った映画について書き留めておこう。
外国映画の新作(?)では、5月のEUフィルムデーズ(NFC小ホール)でフランス語字幕付きで上映されたシャルナス・バルタス『自由』(英語タイトルFreedom、2001)が間違いなくベストだろう。
どこかの沿岸警備艇の銃撃によって撃沈された密輸船らしき船から生き残った麻薬密売人らしき2人の男と、銃撃戦で祖父を失った密航者の少女(アラブ系)がほとんど台詞なし(当然字幕もなし)で、モロッコの海岸線その他各地をロケして編集・合成した海岸部分と内陸部分が入り混じった奇妙な砂漠地帯を彷徨するこの映画は、まさにトランスナショナルというしかない苛酷な映画的自由を体現している。
この『自由』とシャルナス・バルタスについての詳細は、赤坂大輔氏の「New Century New Cinema」にある貴重なインタビューとコメントをぜひ読んでいただきたい。http://www.ncncine.com/ncnbartas.html
『自由』について一点だけ指摘を加えておくと、数少ないフランス語字幕のうち、アラブ系の少女がキリスト教の祈りを唱える箇所があり(アラビア語らしき言葉で祈り「アーメン」と呟く)、彼女が一般的な通念とは異なりイスラム教徒ではなくキリスト教徒、それもかなり信仰心の深いクリスチャンであることがわかる場面がある。最後に辿り着いた親類らしきアラブ系の一家から彼女が受け入れ拒否される理由には、こうした宗教的な背景が絡んでいるのだろうか。当然死んだ祖父もキリスト教徒だったろうから、この祖父と孫娘が密航した原因にもこうした宗教的な理由が絡んでいたのかもしれない。そう考えると、この黒い肌の少女にとってFreedomとは、民族的・宗教的な意味での孤立無援状態のことを指しているのかもしれない。
日本映画の新作では、東京フィルメックスで見た万田邦敏『接吻』の衝撃が忘れられないが、この超傑作は来年3月頃ユーロスペースほかで公開予定なので、それまで詳しく触れずにおこう(間違ってもラストの衝撃的なキスシーンのネタバレを公開前に書くような恥知らずでバカな振る舞いだけは絶対にやめよう)。
ここではとりあえず『アデルの恋の物語』のイザベル・アジャーニを思い起こさずにはいられない、主演の小池栄子の圧倒的な素晴らしさ、その眼の力、声の力、そして最後に見せる鮮やかな運動能力を、ここでは賞賛しておきたい。彼女はすべてが美しい。
新作・旧作を含めて、2007年度最大の発見は、1月にシネマヴェーラ渋谷丹波哲郎特集で見た小野田嘉幹の『裸女と殺人迷路』(1959)と『女奴隷船』(1960)の新東宝作品2本である(大俳優・丹波哲郎の軌跡 - 死んだらこうなった! )。
第2次大戦末期、菅原文太の海軍情報将校と、その軍事機密の横取りを狙う丹波哲郎の海賊兼女奴隷商人との対決を描いた荒唐無稽な海洋アクション(三原葉子のセクシーダンスシーン付き!女奴隷船の本来の船主/女王様もやっぱり三原葉子!!)のクライマックスを飾るのは、従軍看護婦・三ツ矢歌子と女王様・三原葉子もライフルを撃ちまくるブンタ女奴隷部隊 vs タンバ海賊軍団との大銃撃戦なのだが、これが適確な切り返しショットの撮影・編集によって、撃つ側(狙う側)と撃たれる側(狙われる側)との関係性が見事に描かれているという点で、おそらく日本映画史上で最高水準の戦闘場面といっていいものだ。
派手な銃声や爆発のわりには、銃でこちらを狙う敵の姿がさっぱり見えない日本の戦争映画の大半に欠けている、戦場で対面する敵・味方どうしの殺るか殺られるかの緊張をはらんだ視線の交わる位置関係・距離関係が、南海の孤島を舞台にした女奴隷と海賊との銃撃戦に鮮やかに可視化されていることに対して、不覚にも涙がこぼれそうになってしまった。
『女奴隷船』の大銃撃戦と三原葉子の濃厚艶舞(!)にも感動したが、もっと衝撃的だったのが『裸女と殺人迷路』だ。これこそ新東宝が日本映画史に残したB級犯罪メロドラマの最高傑作の1本といえるだろう。
黒沢治安デザインによる超低予算の城北カスバ街のセットを舞台に、プロ野球の売上金強奪計画・実行とその仲間割れのプロセスを描いたこの傑作は、競馬の売上金強奪を描いた『現金に体を張れ』(スタンリー・キューブリック、1956)と比較しても、ストーリー展開はより複雑なのに、あらゆる細部が伏線として無駄なく機能しているのは見事というほかない。また、視線の高低差によって人物間の権力関係、支配−被支配関係を描きわけながら、最終的には生者と死者、殺す者と殺される者との残酷なヒエラルキーを形象化する演出スタイルは非常に興味深いものだ。
だが何よりも素晴らしいのは、突然の台風によって鐘の音が鳴り響くなか、ストリップダンサー・三ツ矢歌子が刑事の尾行を振り切り、恋人の和田桂之助がギャング一味とともに隠れる幼稚園の倉庫に向かって一直線に進む機械的なリズムと鬼気迫る無表情、そして次のショットで三ツ矢と和田が対面する場面で和田が倉庫のドアを中から開けると、外はいつの間にか土砂降りの大雨になっていて、三ツ矢もいつの間にか全身ずぶ濡れになっているという、まさに電光石火の天変地異としかいいようのない土砂降りの大雨の凄さなのだ。
まるで成瀬巳喜男鈴木清順を合わせたような、この無時間的ないしは脱時間的な天候の変化の強度には、前半のB級職人的名人芸の完成度の高さを一挙に忘れさせるぐらいの衝撃を受けてしまった。これは本当に現金襲撃をテーマにした新東宝のプログラムピクチャーなのだろうか? 作品の上映途中で、こんな疑問を抱かせてくれる映画体験は滅多に味わえるものではない。
この2作の隠れた傑作によって、小野田嘉幹の名前は映画史に永久に記憶されるべきものになったと思う。またこの奇跡的な2作を可能にしたもところのは、低予算とハードスケジュール(早撮り)をものともしない、新東宝の撮影所スタッフの技術水準の高さによるところが大だろう。
東宝畏るべし、である。
https://www.youtube.com/watch?v=bLnShzcqFbo
https://www.youtube.com/watch?v=D6sLzXI8p2M