映画監督 川島雄三

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川島雄三といえば名前ばかりが神話化されすぎていて、作品は当たりはずれが大きいのだが、まず誰もが知っているスタンダード作品『幕末太陽伝』(1957)、ソフィスティケイティドコメディの隠れた秀作『適齢三人娘』(1951)、勝鬨橋秋葉原での路上ロケが鮮烈な傑作『洲崎パラダイス・赤信号』(1956)、「師匠」渋谷実『気違い部落』(1957)への海辺からの返歌『青べか物語』(1962)、加山雄三の日独混血の若番頭役とヘリコプター撮影とが印象的な『箱根山』(1962)など、見逃せない作品が多数ある。
今回はそのなかから、あえて1本だけ『「赤坂の姉妹」より夜の肌』(1960)を取り上げておこう(以降『赤坂の姉妹』と表記。ここでは「姉妹」は「きょうだい」と読む)。
その理由としては、成瀬巳喜男と共同監督した前作『夜の流れ』(1960)と料亭を舞台にした女性メロドラマという点で類似していながら、知名度のずっと低い川島単独作品の『赤坂の姉妹』のほうにより成瀬的な演出をみることができて興味深い、ということがまず第一にある。
元新劇女優で、自動車工場の副社長(田崎潤)から大物代議士(伊藤雄之助)に愛人を鞍替えして、バーのマダムから料亭の女将へ「出世」する長女(淡島千景)、甲斐性なしの長女の「お下がり」の恋人(フランキー堺)とのブラジル行きに悩む次女(新珠三千代)、長女の昔の恋人の大学教授(三橋達也)に恋焦がれながら政治運動に深入りしていく左翼学生の三女(川口知子)、という三人姉妹の生き方を描いたこの作品は、本編中に『三人姉妹』を劇場で観劇する場面もあることからもわかるように、チェーホフ『三人姉妹』のあからさまな、だがじつに見事な翻案になっている。
ことあるごとに三女が「生きていかなくては」や「私は全力を尽くした」という『三人姉妹』のせりふを口にするのだが、前半ではその口ぶりがいかにも軽薄な感じで描かれている。しかしそれが後半になって、労働争議で重傷を負い、政財界の大物を集めた料亭の開店祝いの宴会場のすぐ隣の部屋で、頭を白い包帯をした川口知子が布団に横たわったまま、三味線の音をバックにラテン語で『三人姉妹』の「私は全力を尽くした」というせりふを引用する姿には、なんとも苦い感動に満ちている。
幕末の志士が遊郭を活動拠点にした『幕末太陽伝』の作家らしく、淡島千景が経営する赤坂のバー、料亭に露口茂蜷川幸雄らが演じる左翼学生が政治家、実業家にまぎれて出入りする様子も活き活きと描かれていて、数ヶ月遅れて公開された大島渚『日本の夜と霧』(1960)よりも「左翼学生映画」としてはいっそう面白いともいえるだろう。
引用といえば、この映画の最大の目玉はなんといっても、伊藤雄之助の朗読によるマルクス資本論』の一節「資本主義社会では人間と人間の関係は商品と商品の関係にすり換えられる」の引用だろう。
保守政党の大物代議士である伊藤雄之助は選挙期間中に、党本部を抜け出して、愛人宅である淡島千景の家に来て、布団に潜りこむ。
左翼学生の三女とも顔なじみである伊藤は、三女の本棚から当然のように『資本論』第1巻を手に取り、布団のなかで「資本主義社会では人間と人間の関係は商品と商品の関係にすり換えられる」という一節を読み上げ、うなずく。川島雄三の映画ではマルクスチェーホフも布団に横たわったままで朗読・引用されるのだ。
チェーホフの翻案ということであれば、世界のどこかに『赤坂の姉妹』よりも優れた映画は存在するかもしれない*1。しかし、これほど適確でユーモラスなマルクスの『資本論』からの引用は、世界映画史上どこを探してもほかには絶対に存在しないだろう。
資本論』の最良の一節を、伊藤雄之助のような役者に、布団に横たわったままで朗読・引用させた川島雄三は、もしかしたらゴダールストローブ=ユイレよりも天才的なのかもしれない。

*1:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』は、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の最も見事な「映画的翻案」である