『秋日和』『晩春』
2DKの母娘と二階建ての父娘
『秋日和』の原節子と司葉子が演じる母と娘との関係―寡婦の母親ひとりを残して結婚することをためらう娘を嫁がせるために、再婚するふりまで演じる母親との親子関係は、かって『晩春』で寡夫の父・笠智衆とその娘・原節子が演じた役割を、配偶者と死別した片親の性別を男親から女親へと反転させたうえで再演したものであることは、小津作品に親しんだ者のあいだでは周知のことだろう。
美貌の寡婦・原節子とその娘・司葉子の双方の縁談を、原節子の亡夫の学生時代からの悪友で、かって原節子をめぐる恋敵どうしだった中年男三人組(佐分利信・中村伸郎・北竜二)が勝手に画策する『秋日和』の物語が、娘を嫁に出すために笠智衆が寡夫である自分の縁談をあえて受け入れたふりをする『晩春』に対する、小津自身によるパロディ的なリメイクであることは、容易に見て取れることだろう。
『晩春』と『秋日和』とのあいだには、娘を嫁に出す独り者の親の性別が男親から女親に変わっていること以外に、もうひとつ重要な変更点がある。それは、主人公親子の住居が『晩春』では鎌倉の二階建ての日本家屋であるのに対して『秋日和』では東京都内の2DK?のアパートになっているということだ。
原節子が美貌の寡婦を演じることを前提に撮られた『秋日和』では、『晩春』で笠智衆が演じた男親の役柄が女親へ変わっているのは当然のことだが、その親子の住居が鎌倉の二階建ての一軒家から2DKのアパートに変わっていることは、また別な意味あいを帯びてくる。こうした住居の違いは登場人物の性別の違いに劣らず、小津作品にとってはある種の決定的な境界作用をもつからだ。
いったいなぜ『秋日和』の原節子・司葉子の母娘は『晩春』の笠智衆・原節子の父娘のように、二階建ての日本家屋を住居とはしないで、2DKのアパートに同居しているのだろうか?
経済的に慎ましい生活をしている寡婦の母と娘のふたり暮らしの住居には、二階建ての日本家屋の一軒家よりは、賃貸の2DKのアパートの方がふさわしいからという、脚本上の人物設定に関する答えがまず考えられるだろう。
しかし、経済的な慎ましさということを考えてみると、たとえば夫の遺産の一軒家に母娘で住み続けるという設定もまたじゅうぶんあり得るわけで、東京都内のアパートの家賃を考えるならば、そのほうがより経済的に慎ましい暮らしであるかもしれない。
だいたい、服飾学院の講師をしている原節子に、どれくらいの収入があり、またどれくらいの遺産をもっているのか(彼女はもともと本郷の薬屋のひとり娘であるらしい)、映画はまったく触れていないのだから、そうした登場人物の経済状況に関する推測は、あまり意味を成さないだろう。
要するに、脚本の設定しだいで『秋日和』の原節子・司葉子母娘は『晩春』の笠智衆・原節子父娘と同様に二階建ての日本家屋に住んでいてもおかしくないのであって、そのための物語的な合理化の手段はいくらでも可能であり、そうしてはならないという理由も特に見当たらない。
にもかかわらず、原節子・司葉子母娘は2DKのアパートに住んでいて、その近代的なアパート建築が、中村伸郎一家、佐分利信一家、そして北竜二・三上真一郎の父子家庭が住む日本家屋に対して、独自の住居空間を形成していることは明らかであり、その空間的な差異が意味するところは、決して見過ごせないものがある。
したがって『秋日和』の原節子・司葉子の母娘が『晩春』の笠智衆・原節子の父娘のように二階建ての日本家屋の一軒家に暮らさずに、2DKのアパートに同居しているという住居の変更理由は、作品の空間構造/住居構造という点から考えなおさなければならない。
「女の聖域」の二つの系譜
小津作品における住居の構造、とりわけ「後期の小津」における日本家屋の二階の部屋の特異性を解明した画期的な批評として、蓮實重彦『監督 小津安二郎』の「住むこと」がある*1。
蓮實氏の論旨をごく簡単に要約するならば、『晩春』『麦秋』『彼岸花』『小早川家の秋』『秋刀魚の味』といった「後期の小津」に登場する日本家屋の二階の部屋に通じる階段は、特別な例外を除いて決して画面に映ることがなく、その「不在の階段」を自由に通り抜けて二階の部屋を二十五歳前後の嫁入り前の娘が「女の聖域」として排他的に独占しているのが、二階建ての日本家屋に共通する構造である、ということになるだろう。
一方で蓮實氏は、二十五歳前後の娘たちの「女の聖域」である日本家屋の二階の部屋とは空間的に対極に位置する、五十五歳前後の父親たちの「男の聖域」である料理屋の座敷の存在を指摘することも忘れていない。ただし、住居構造という観点から考えると、女性専用の「不在の階段」に支えられた二階の「女の聖域」と、住所不明な料理屋の座敷の「男の聖域」とでは、作品を支える構造的な重要度の相違は明白だろう。
このように「後期の小津」に登場する二階建ての日本家屋は、男女共用の生活空間としての一階と、二十五歳前後の娘の「女の聖域」である二階という、二つの部分に分けられる構造をもっていることになる。その二つの部分を画面には姿を見せない「不在の階段」が斜めに連絡するのだが、そこを自由に通り抜けて二階へ出入りする特権と能力を有するのは二十五歳前後の娘をはじめとする女たちで、父親や兄弟ら男たちはその権利を基本的に与えられていない。
蓮實氏が解明した「後期の小津」の住居構造は、空間の性的な分割と深い相関関係にあるといえるだろう。*2
『秋日和』の原節子・司葉子母娘が住む2DKのアパートという空間を論じるために、ここでは蓮實氏が論及していない、戦後の小津作品におけるもうひとつの「女の聖域」というべき、寡婦が住むアパートという空間の系譜について概観しておこう。
『東京物語』では、笠智衆・東山千栄子夫妻は、戦死した次男の嫁・原節子のアパートを訪れて、実の子供たち以上の手厚い歓待を受ける。熱海の旅行帰りの日には、長女・杉村春子の家を締め出された東山千栄子が原節子のアパートに一泊すると、布団を並べて実の親子以上の深い会話を交わす。*3
夫の戦死後、会社務めをしながら独身生活を続けている原節子のアパートは、横浜にある。その広さは、六畳一間あるかないかぐらいだろうか。義父母を歓待するために、原節子は店屋物の丼の出前を頼み、隣の部屋の住人からお酒と徳利とお猪口を借りるのだが、ふたりを泊めるのはいくらなんでも狭すぎる。
東山千栄子ひとりが原節子のアパートに寝泊りし、笠智衆が旧友の十朱久雄と東野英治郎を都内に訪ねる、熱海旅行の帰りの日の夜の場面を見てみよう。原節子が東山千栄子の肩を揉みながら、布団の上で女どうし語らうこの場面において、原節子の狭苦しいアパートは『東京物語』において唯一といっていい「女の聖域」と呼ぶべき空間となっている。
しかも、同時刻に笠智衆が旧友の十朱久雄と東野英治郎と共に酔いつぶれている飲み屋が、東野英治郎が自分の死んだ妻に似ていると言い張る女将・桜むつこの関わり合いを避ける邪険な態度が示すように、一種の「男の聖域」として演出されていることも見逃せない。
泥酔した笠智衆と東野英治郎は、結局はその「男の聖域」を追い出され、長女の杉村春子の理容室に深夜帰宅し、東山千栄子ひとりが、夫・笠智衆抜きで、次男の嫁・原節子と女どうしで深く交流する。
このエピソードでは、笠智衆を外に追いやり、東山千栄子ひとりを泊めることによって、寡婦・原節子のアパートが「女の聖域」であることを告げている。
『東京物語』より3年後の『早春』では、家出したヒロイン淡島千景が転がり込む先である、友人・中北千枝子のアパートは、やはり六畳一間ぐらいの広さだが、共同の炊事場が部屋の外にあるその造作は、ずっと近代的で1Kに近いものになっている。
中北千枝子は浮気性の夫と死別後、働きながらひとり暮らしを続ける女性であり、子供のいない専業主婦の淡島千景は夫・池部良の浮気をきっかけに家出をすると*4、母・浦辺粂子が営む実家のおでん屋には帰らずに、この寡婦の友人のアパートに転がり込む。
それまでは、夫婦の家と実家のおでん屋とのあいだの往復ばかりをしていた淡島千景が、アパートの卓袱台でビールをコップに注ぎながら、仕事帰りの中北千枝子と女どうしで夫の浮気話を笑いながら語りあうのだから、ここでも『東京物語』と同様に、寡婦のアパートが「女の聖域」と化していることを容易に見て取れるだろう。
中北千枝子の「死別妻」が、淡島千景の「家出妻」とアパートの一室で夫の浮気話をビールのツマミに笑い合う、その絶妙な「成瀬組看板女優」中北千枝子の起用法から、小津安二郎がいかに成瀬巳喜男作品を研究していたかがよくうかがわれて、なかなか興味深い場面でもある。*5
『東京物語』の原節子と東山千栄子との語らいから『早春』のアパートでの中北千枝子と淡島千景との語らいの場面に至って、戦後の小津作品において寡婦が住むアパートが、二十五歳前後の未婚の娘が暮らす日本家屋の二階の部屋とはまた違った意味で、もうひとつの「女の聖域」の系譜を形成していることが明らかになったと思う。
『東京物語』『早春』と連なる寡婦のアパートの住居空間の系譜を見たうえで、『秋日和』のラストシーン近くにおける「残る娘」としての岡田茉莉子の重要な役回りをみるならば、原節子・司葉子の母娘が暮らす2DKのアパートは、単なる母子家庭の母と娘の住居というよりも、寡婦・原節子が娘の司葉子が結婚するまで同居し、娘の結婚後は、再びひとり暮らしを送りながら娘の友人・岡田茉莉子をそこへ頻繁に迎え入れるであろう、文字通り男子禁制の「女の聖域」となっていると、推定できるのだ。*6
建築的なデザインという点から見てみるならば、原節子と司葉子が特権的に通行するアパートの廊下は、その幅の広さと天井の照明の配置において、やはり原節子と司葉子が頻繁に出入りする佐分利信の会社の廊下と相似形をなしていることが指摘できる。
こうした住宅と仕事先の建築物の視覚的な統一性は、主人公が日本家屋から近代的なアパート建築に転居することによって初めて可能になったものだといえよう。
このように『東京物語』『早春』と続く、寡婦のアパートが形作る「もうひとつの女の聖域」の系譜を辿ることで、なぜ『秋日和』の母娘が『晩春』の父娘のように二階建ての日本家屋に住まずに、2DKのアパートに同居するのか? という問いに対する、とりあえずの解答は出せたと思う。
しかし、ここでは同じ問いを、あえて変形して再提出することで「後期の小津」の住居構造に潜む問題に揺さぶりをかけてみたい。
それは『晩春』の父娘が、二階建ての日本家屋を住まいとせずに『秋日和』の母娘のように2DKのアパートに同居することは、はたして可能か、という問いである。
父と娘の住み分け
たとえば『秋日和』の母娘が2DKのアパートではなく、二階建ての日本家屋に暮らしていたとしても、小津作品としての『秋日和』は、構造的に成立可能だろう。
原節子と司葉子の母と娘は、何が何でも2DKのアパートに住まなければならない、という構造的必然性は『秋日和』には特に見当たらない。
寡婦の母と独身の娘のふたりがもし、二階建ての一軒家に住んで「不在の階段」を通って一階と二階を行き来したとしても、それはそれで小津作品として特に差し障りが生じることはないだろう。
しかし『晩春』の父と娘が『秋日和』の母と娘のように、2DKのアパートに同居できるかといえば、それは不可能だろう。もしそんなことをすれば、『晩春』という作品は成立不可能になってしまうからだ。
「不在の階段」によって分離された二階建ての一階と二階に父と娘が住み分けること、それが『晩春』という作品に欠かせない成立条件なのだ。この独身の父と娘が同じ階、同じ部屋で寝起きを共にするようなことになったら、小津作品としての『晩春』は、その持続を放棄しなければならなくなるだろう。
原節子と笠智衆が、同じ部屋に布団を並べて横たわる、京都旅行(婚前旅行!)の最後の夜のような緊張感は、旅行先の旅館の一室だから許されるものであって、もし、それが日常的に繰り返されるようなことがあれば、小津的作品の秩序は崩壊してしまうだろう。
笠智衆と原節子の独身の父と娘とは、一見、鎌倉の日本家屋の同じ一軒家に同居しているように見えながら、じつは「不在の階段」によって分離/切断された一階と二階の部屋に、厳密な住み分けをおこなっているのだ。
蓮實氏が指摘した「後期の小津」を特徴づける「不在の階段」により一階から分離された「女の聖域」としての二階の部屋を「二十五歳前後の嫁入り前の娘」が排他的に占拠するという住居構造は、この『晩春』においては、まぎれもなく独身の父と娘とのインセスト・タブーに関わる、いわば性的な住み分け構造になっているのである。
『晩春』の笠智衆・原節子から始まって、『東京暮色』の笠智衆・有馬稲子、『秋刀魚の味』の笠智衆・岩下志麻、それに『小早川家の秋』の中村鴈治郎・司葉子の父娘も加えた「後期の小津」をあらためて見直してみると「不在の階段」は、死別に限らず妻を失って独身に戻った父親と、嫁入り前でまだ独身の娘とを、一階と二階に住み分けさせる装置として働いていることがわかる。
ここで重要なポイントは、住み分けを演じている父と娘がともに独身かどうかということだ。
たとえば『麦秋』では、娘の原節子以外にも、菅井一郎・東山千栄子の父母が二階の部屋で寝起きしているために、「不在の階段」により一階から分離された「女の聖域」としての二階の部屋を「二十五歳前後の嫁入り前の娘」が排他的に占拠するという住居構造は、不完全なかたちでしか成立していない。『麦秋』はしかし、そのことによって、小津作品として欠陥をもっているどころか、むしろ世界映画史上、空前絶後の高みに達している。*7
ここでは父親役の菅井一郎の妻・東山千栄子が健在であって、父が娘とは違い独身者ではないことが肝心だ。そのために『麦秋』では、アクの強さが売りの溝口映画の個性派常連俳優・菅井一郎が限りなく透明に近い存在と化して、娘の原節子とともに「不在の階段」「女の聖域」を阻害することなく二階に共存するという映画的奇跡が可能になっているのだ。*8
独身の父と娘との住み分けという点に注目すると、蓮實氏が『戸田家の兄妹』の冒頭の老実業家の家長・藤野秀夫の死に関して述べた<注目すべきは、ここでの実業家の妻の関係がいつでも交換可能なものだ。(……引用者中略……)それ故、『戸田家の兄妹』の冒頭に描かれるのが、還暦の年の六十歳の誕生日に起こった父親の死であってもいっこうにかまわないし、あるいは死ぬのが母親であったとしても、ほぼ同じ作品ができあがったかもしれない。>*9という記述は、明らかに不適切で修正を要するものだろう。
もしも『戸田家の兄妹』の冒頭で死ぬのが父親ではなく母親だとしたら、未婚の末娘・高峰三枝子との同居という、作品の基本構造が「ほぼ同じ」というわけにはいかなくなるからだ。母親が夫の死と同時に住む家をなくすという、『戸田家』の住居空間のあり方そのものが、まず違ってくるはずなのだから。
もし『戸田家』の冒頭で死んだのが父親ではなく母親である場合は、独身の父親と未婚の娘と二階建ての一軒家の3点セットが遺産として残される、というのが小津作品の基本的な家族・住居構成であるからだ。その二階建ての一軒家を、独身の父親と未婚の娘とが上下に住み分けるというのが『晩春』で確認された、性的分割を伴った空間分割のあり方であり、それは父母の死を入れ替えた『戸田家の兄妹』の別バージョンについても、当然適用されるべき分割パターンであるべきだからである。
こうした父と娘とのあいだの性的な空間分割構造を考えると、夫の死と同時に住む家を亡くした母親が、未婚の末娘と共に、結婚して独立した子供たちの家の二階の部屋を転々とする現バージョンと「ほぼ同じ作品ができあがったかもしれない」という記述は、蓮實氏にしては珍しく不用意で、間違ったものといわねばならない。
『戸田家の兄妹』の母娘が同居する二階部屋は「後期小津」の「女性の聖域」の隠れた起源の一つである。その母娘同居生活は『秋日和』母娘の先駆けでさえある。したがって、ここでの男親の死と女親の死があたかも交換可能であるかのような蓮實氏の記述は、「女性の聖域」をめぐる自身の論理構成を裏切っているものだといわねばなるまい。*10
小津作品において、独身の娘と二階に共存を許された男親は『麦秋』の菅井一郎ただひとりであって、その理由は、妻・東山千栄子が健在であり、二人の孫までいるからだ。*11
もし『戸田家の兄妹』別バージョンで父・藤野秀夫が生き残ったうえに、住む家まで失ったとしても、彼が未婚の末娘・高峰三枝子と二階の部屋に同居することは決して許されなかっただろう。結婚して独立した子供たちが、どれほど老父や妹を邪険に扱ったとしても、独身の男女ふたりを一階と二階とに住み分けさせるという小津的な配慮まで失うことはありえないはずだからだ。
『晩春』の父と娘をめぐる性的な空間分割構造に戻ろう。
父・笠智衆と娘・原節子が、二階建ての一軒家を「不在の階段」によって一階と二階を上下に分断し、住み分けることによって、かろうじてその日常生活を維持していることは、以上の考察でじゅうぶんわかっていただけたと思う。この父娘が『秋日和』の原節子・司葉子の母娘のように、2DKのアパートに同居し、寝起きを共にするなどということは、絶対に不可能なのだ。
しかし、そんな父と娘が、同じ階の同じ部屋で布団を並べて横たわる、京都の宿での婚前旅行の最後の夜の場面を演出してしまうのが、また、小津の小津たるゆえんでもある。
父と娘の婚前旅行
『晩春』では、就寝場面はもちろんのこと、登場人物が布団に横たわる姿を見せるのが、この京都の旅館の夜のシークエンスに限られていることに注意しよう。
就寝場面の多い『東京物語』をはじめ『麦秋』『早春』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』等と比べると、『晩春』の人物の横臥率の低さは明白だ。
『晩春』の笠智衆と原節子の父娘は、自宅ではいつ寝ていつ起きたのか、はっきりしない。布団を敷く場面もなければ、それを片付ける場面もない。お互いの縁談について座って語り合うだけで、性的な緊張感がみなぎるふたりの同居生活においては、たとえ一階と二階に別れていていようとも、自宅で横たわる身振りは決して許されないものなのだ。
『晩春』の笠智衆と原節子の父娘は、自宅での布団への横臥が禁じられていたかわりに、京都の旅館で一室で、堂々と布団を並べて横たわる。ローポジションのカメラから捉えられた「独身の男女」が布団を並べて横たわるさまを、1955年松竹入社の吉田喜重が「父と娘がほとんど同衾するような」と「同衾」いう生々しい一語でもって、シンポジウムに同席するマノエル・デ・オリヴェイラたちに言い表したのは、ある意味当然のことだろう。*12
自宅では「不在の階段」によって垂直に分離され、決して同じ階、同じ部屋に布団を並べて寝ることのない独身の父と娘が、旅館の一室で、暗い照明のなか布団を並べて横たわる。ここでは、父・笠智衆の横たわる布団と娘・原節子の布団のあいだを遮るものは何もない。
京都の旅館のシークエンスにおいて、鎌倉の自宅ではいつもふたりを垂直に分断していた「不在の階段」が不在であるという妙な事態、父と娘の最後の婚前旅行という特殊なシチュエーションが可能にした主題論的異常事態(旅先の椿事?)がふたりのあいだに起きているのだ。
この「不在の階段」の性的な抑圧・禁止の不在、が初めて可能にした独身の父と娘がともに枕を並べて眠る姿は「新婚初夜の光景」と重なり合って「近親相姦のイメージ」を深く示唆する。
<新婚を間近に控えた娘が、たとえそれが父との最後の別離の旅であるとはいえ、ともに枕を並べて眠る姿は、おのずから娘の新婚の初夜の光景と重なり合って想像されたとしても、不思議ではなかった。(…引用者略…)もちろんこうしたおぞましい、常軌を逸した想像は許されるものではなかった。俳優に与えられた役が父と娘であるかぎり、ふたりのあいだに性的な関係を予感し、そのように夢想することは、当然のことながら近親相姦のイメージを深く示唆するものであったからである。>*13
「俳優に与えられた役が父と娘であるかぎり」という指摘は重要だ。小津作品で男女の俳優が枕を並べて眠る場合、『早春』の池部良と岸恵子の「不倫カップル」のような例外を除くと、ほとんどが夫婦の役であり、男女の俳優が「父と娘」という役で同じ一室で寝るケースは『晩春』の京都の宿の場面しかないからだ。しかも『晩春』が公開された1949年当時の笠智衆45歳、原節子29歳、という主演俳優の年齢構成を見れば、旅館の一室に枕を並べて眠るふたりの男女の与えられた役柄が、夫婦ではなく「父と娘」という設定には本来微妙な違和感があるわけで、そこに性的なコノテーションを感じないほうがかえって不自然というものだろう。
「不在の階段」と「壺の映像」
京都の宿の一室で、あからさまに露呈した、笠智衆と原節子の「父と娘」役がもつ性的な不自然さを、それまで抑圧・隠蔽していたのが、鎌倉の自宅の二階建て一軒家での「不在の階段」を介した、独身の父と娘との一階/二階の住み分けだったのであり、この建築構造と一体化した性的空間分割システムが、小津的な「父と娘」による家族の戯れ/秩序を維持してきたのである。
京都の旅館では、「不在の階段」が不在のため、この小津的な秩序/戯れの持続が危機に瀕している。そうした危機を回避する非常手段として導入されるのが、あの「壺の映像」なのだ。鎌倉の自宅では「不在の階段」による住み分けシステムが、父と娘を一階/二階へと垂直に分断していた代わりに、京都の旅館の一室では「壺の映像」が水平に並ぶ父と娘のあいだに割って入り、「近親相姦のイメージ」「きわめて生なましい性の露呈」を即興的に封じ込めようとしているのだ。
<おそらく小津さんは壺の映像を想定することなく、京の宿の場面を描こうとしたのだろう。(…引用者中略…)むしろ『晩春』の父と娘のような聖なる主役たちが語り合う場合、ふたりを限りなく曖昧な表情のまま繰り返しカットバックするのが、小津さんらしい表現のありようであり、なんの脈絡もない壺のたたずまいを不意にモンタージュして、劇的な意味づけをはかるような手法を小津さんは映画のまやかしとして嫌ってきたはずである。みずから定めたそうしたゲームの規則に重大な違反を重ねてまで、壺の映像を挿入せざるをえなかったのは、父と娘の表情を直接カットバックしつづけるならば、それが男と女の性的欲望へと転化し、ただならぬ近親相姦といったイメージに観客がとらわれてゆくことを、小津さん自身がまさしく恐れたからにほかならない。そして自らの戯れの果てに、思わず誘発された危うく、おぞましい欲望を鎮め、浄化するために、壺の映像が欠かせなかったのである。>*14
「壺の映像」なしに「父と娘の表情を直接カットバックしつづけるならば」云々という生々しい想定は、「不在の階段」による父と娘の一階/二階の住み分けについても適用可能なものだろう。
京都の旅館での「不在の階段」の不在が「壺の映像」の挿入を促したのだから、もしも鎌倉の自宅においても、父と娘の一階/二階の住み分けが為されなかったとしたら、『晩春』は全編において、父と娘の「近親相姦のイメージ」の危機に曝され続けることになっただろう。
それゆえに『晩春』の父娘は、二階建ての一軒家の一階/二階に住み分けしなければならないのであって、2DKのアパートに同居するなどもってのほかなのである。
『秋日和』のハッピー・ウェディング
『秋日和』の司葉子と原節子による「婚前旅行」には、『晩春』の京都の旅館のような緊張感はない。浴衣姿の司葉子と原節子とのカットバックは「壺の映像」で遮る必要もないし、そもそも2DKのアパートに同居する母娘には「不在の階段」による住み分け、などという性的分割システムに伴う葛藤とも無縁である。*15
この2DK暮らしの母娘の結婚喜劇が、後期小津作品中で最も幸福感に満ち溢れている理由は、出会いから交際を経て、結婚式に至るまでの娘の結婚のプロセスが、すべて祝福されるべきものとして描かれていることにあるだろう。小津が、これほど幸福な結婚を描いたのは『秋日和』だけである。
娘の結婚の物語を繰り返し取り上げた『晩春』以降の小津安二郎作品において、ごくふつうの幸福な結婚 ― 当人同士の意志に基づき、家族や周囲に祝福された結婚 ― は、ほとんど描かれることはなかった。
『晩春』『秋刀魚の味』では、画面に顔も映らない見合い相手との縁組を承諾することで花嫁姿となる娘たちからは、犠牲精神のようなものは感じられても、とても幸福感は感じられない。『彼岸花』の有馬稲子と佐田啓二のような相思相愛の恋人たちの場合でさえも、結婚に不満をもつ花嫁の父・佐分利信の結婚式への欠席表明によって、なかなか幸福な結婚へとは至ろうとしない。そんな不幸な縁組が多いなか『秋日和』は、小津映画全作品中唯一、「娘の幸福な結婚」が描かれた作品といっていい。
娘・司葉子は、母・原節子の亡夫の悪友三人組(佐分利信・中村伸郎・北竜二)の見合い話を断りながらも、その断った見合い相手である佐田啓二と、ふつうの恋人同士としての交際を経て、盛大な結婚式に至るのだ。
『秋日和』の司葉子・佐田啓二は、本人同士の意思に基づき、家族と周囲から(さらには観客から)も祝福されて結婚に至る、小津映画では唯一無二の幸福なカップルなのだ。
ふたりの交際過程が、出会いの場面から結婚式の記念撮影まで描かれているのも、小津映画では異例のものだろう。
蓮實重彦はなぜ『秋日和』には存在する結婚式場での記念撮影のシーンが『晩春』『秋刀魚の味』には存在しないのか、と問いかけ、その理由を、後者では男親が二階の娘の部屋に階段を上って挨拶した段階で、別れの儀式は済んでいるから、結婚式場をあえて映す必要はないと、もっぱら「不在の階段」と二階の娘の部屋の「女の聖域」をめぐる「住むこと」の主題と父娘の離別の儀式の相関という、主題−説話間の機能的相関という観点から答えている。
しかし、この問いにはもっと素朴に答えることが可能なのであって、『晩春』も『秋刀魚の味』も、結婚相手の顔を画面に出せないような「娘の不幸な結婚」を描いた作品なのだから、結婚式場で新郎新婦が並んで映る記念撮影のシーンを出すわけにはいかないのだ。*16、*17
こうしてみると、いかに司葉子・佐田啓二の恋人たちが、小津映画では例外的に幸福なカップルであり、いかに『秋日和』が小津映画では例外的な祝福ムードにあふれた「娘の幸福な結婚」を描いた映画であるかがわかるだろう。*18
「永遠の処女」から「永遠回帰の寡婦」へ
北竜二との再婚話を断った寡婦の母・原節子も、娘の結婚後はひとり寂しく残されているかに見える。
だが『晩春』の笠智衆の「男やもめ」には蛆がわくかもしれないが、原節子の「女やもめ」には花が咲くことひっきりなしだろう。『早春』の中北千枝子のアパートを見ればわかるように、小津映画では寡婦のアパートには必ず女友達が転がり込んでくるのである。
『秋日和』の原節子・司葉子母娘が住むアパートは、司の友人・岡田茉莉子が訪ねてくるだけで、そこは他作品の二階の娘部屋と同様に男子禁制の「女性の聖域」である。
しかも、そのアパートの部屋は明らかに二階以上の階にあって、そこへ出入りするためには階段を通過しなければならないはずだが、もちろん画面に階段のショットは映ることはない。
そこは団地タイプのアパートの一画にありながら、不可視の階段を通過しなければ出入りできない男子禁制の女性の聖域であるという点で、まぎれもなく他の作品に出て来る一軒家の二階の娘の部屋のヴァリエーションなのである。
原節子・司葉子の母娘には二階建ての一軒家は不必要である。彼女たちは『晩春』の笠智衆・原節子の父娘のように一階/二階にわざわざ住み分ける必要はないのだから、そこが男子禁制の空間ならば、2DKのアパートでじゅうぶんなのだ。
『秋日和』は、本来ならば、娘を嫁に出した後は空っぽになるはずの男子禁制の女性の聖域に、寡婦である母親が暮らし続けるという、後期小津ではある意味奇形的な作品である。
『晩春』の笠智衆が娘の嫁入り後、空っぽになった二階の部屋の空白感に耐えながら一階に暮らし続けなければならないのに対して、娘とアパートの空間を共有していた原は、そこへ娘の友人・岡田茉莉子を招き入れることによって、女性の聖域をさらに活性化させることも可能になるだろう。
『晩春』の笠智衆のもとへも、娘の友人であるバツイチの「ステノグラファー」月丘夢路が慰めにくるだろうが、笠智衆は月丘を一階の応接間でもてなすことはできても、彼女ひとりを二階の娘の部屋へ上げるわけにはいかないし、ましてやふたりで二階へ一緒に上るのはもってのほかである。*19
娘の嫁入り後、男子禁制の女性の聖域で、あらためて独身のひとり暮らしを再開する原節子にふさわしい名称は「永遠の処女」ならぬ「永遠回帰の寡婦」だろうか。*20
(2013年4月14日初出)
*1:蓮實重彦『監督 小津安二郎』【増補決定版】、筑摩書房、2003、69−95頁
*2:「女の聖域」であるべき二階の例外として、菅井一郎・東山千栄子夫妻が娘の原節子と同じ二階に暮らす『麦秋』があるが、妻が健在で孫もいる菅井一郎は、『晩春』『秋刀魚の味』の寡夫・笠智衆とは異なり、未婚の娘とともに二階に暮らす権利を有する。また『宗方姉妹』では、嫁入り前の義妹・高峰秀子を妻・田中絹代と一階に住まわせ、二階を書斎として独占する失業中の夫・山村總は、小津作品に例外的な雨に濡れたまま「不在の階段」を上ると、音を立てて倒れてそのまま変死する。『宗方姉妹』の山村總は、男女・階別の住み分け、天候・死に方の2点において、小津全作品において異常な例外、残酷な特異例となっている。
*3:より厳密を期すならば、戦地から未帰還の次男の生死は不確定のままであり、わずかな可能性を信じて夫の生還を待ち続けている原節子を「寡婦」(戦争未亡人)と呼ぶのは不適当なことなのかもしれない。ただし民法上、夫の死亡とそれに伴う再婚の自由が認められた女性は、やはり「寡婦」にカテゴライズされるべきだろう。再婚の自由を放棄し、戦後も次男の嫁を演じ続ける原節子は、自分が「戦争未亡人」であることを否認する一種の戦争神経症患者ともいえるだろう。
*4:淡島千景と池部良は幼い子供を亡くした過去があり、それが夫婦仲に暗い影を落としている。
*5:『早春』は、中北千枝子が出演した唯一の小津作品だが、その甲斐あってか(?)、また浦辺粂子が営む実家のおでん屋のおかげや、他作品では主軸となる父子関係が描かれていないことも相俟って、小津映画のなかでは最も成瀬的な雰囲気に近づいている作品だと思う。
*6:なお小津が「トップバッター女優」岡田茉莉子に花嫁役を演じさせなかった理由は、親友・岡田時彦の「お嬢さん」に、花嫁=「画面から消え去る娘」を演じさせたくなかったから、というのは考えすぎだろうか。なお、岡田茉莉子の花嫁姿は中村登の「小津追悼?作品」『結婚式・結婚式』(1963)で見ることができる。http://d.hatena.ne.jp/jennjenn/20140816
*7:もし、小津作品からベストワンをあえて選ぶとするならば、やはり『麦秋』だろう。それは菅井一郎が原節子の父親役に入ったことで、笠智衆と原節子が兄妹という無理のない関係に収まったこと、そして三宅邦子の兄嫁と原節子との関係(砂浜のクレーン撮影!)、さらには家出騒動を起こす甥っ子たちとの関係、大和のおじいさん(高堂國典)との関係をポリフォニックに描いたうえに、『東京物語』での東山千栄子の死の描写のようなメロドラマ的冗長性を「記念写真」でクールに断ち切っているからだ。なお裏のベストワンは『東京暮色』。これは小津的ホームドラマが本当はホラー映画であることを自ら露呈した問題作。夫と子供を捨てて出奔した挙句に引揚者として東京に戻って来た山田五十鈴が営む二階の麻雀屋と笠智衆の通うパチンコ屋の一階との空間的対立、山村聰を雨で打ち殺した『宗方姉妹』の呑み屋の主人役に引き続き「地獄の飲食店主」(珍々軒!)としてキャスティングされた藤原釜足、『非常線の女』そっくりのセットで有馬稲子を補導する刑事・宮口精二、白いマスクから黒い喪服に着替える原節子。これらすべてが揃いも揃って、薄幸なヒロイン有馬稲子の死/消滅が、他作品での娘の嫁入り/消滅と、構造的には同型であることを残酷に立証している。
*8:それにしても『麦秋』の菅井一郎は透明で美しすぎる。この上品で控えめな老紳士が『滝の白糸』(溝口健二、1933)で、入江たか子をケダモノのように襲った、強欲で卑劣な高利貸と同一人物だとは、何度見ても信じられない。
*9:蓮實・同書、150頁
*10:弘法も筆の誤りか。
*11:老夫婦が息子夫婦、嫁入り前の娘、孫と同居する日常を描いた『麦秋』には、本来の意味での「小津的なもの」に満ちあふれている。老夫婦が上京して息子、娘たちと久々に再会するメロドラマ『東京物語』と比較すると、その点はすぐに明らかになるだろう。
*12:『国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年記念「OZU 2003」の記録』、朝日新聞社、2004、243頁。ここで吉田監督のいう「命を賭けた戯れ」としての「父と娘のほとんど同衾」という発言は、このシンポジウムのクライマックスとなっている。
*13:吉田喜重『小津安二郎の反映画』岩波書店、1998、157−158頁
*14:吉田・同書、159−160頁
*15:インセストタブーとは「近親交配」に関わる禁忌なので, とりあえず母娘レズはOK?
*16:『晩春』『秋刀魚の味』において、娘の結婚式はすなわち「娘の葬式」であり、画面に姿を見せない結婚相手はいわば「死神」である。そんな新郎=死神を画面に映さないのは、キャスティングの問題からいっても、当然のことだろう。『晩春』では画面に映らなかった原節子の結婚相手(ゲーリー・クーパー似?)は、『東京暮色』の子連れ家出妻・原節子の夫・信欣三の死神のような風貌となって回帰する。『東京暮色』のラストで原節子は夫とやり直す決意を示すが、成瀬映画のような夫婦の会話/和解の場面は一切ないし、有馬稲子の死=消失は他作品の娘の嫁入り=消失と見分けがつかない。かくも残酷な小津!
*17:小津映画の記念撮影場面がいかに不吉なものであるかについては、四方田犬彦の『長屋紳士録』の詳細な分析(「小津安二郎―不在の映像」)を参照。四方田犬彦『エッセ・シネマトグラフィック 映像の招喚』青土社、1983、65−85頁
*18:『麦秋』の原節子と二本柳寛の結婚も幸福な部類に入るかもしれないが、秋田へ赴任する子持ちの寡夫・二本柳寛との唐突な結婚を契機に、原節子の家族は秋田・奈良・鎌倉に「一家離散」することになるのだから、この結婚を心から祝福してくれるのは、二本柳寛の母親役の杉村春子だけである。「紀子さん、パン食べない? アンパン」と。
*19:『秋刀魚の味』で笠智衆が友人の北竜二を「不潔」呼ばわりするのは、北竜二が笠智衆の守った「境界線」を越えて、自分の娘と同年代の女性と再婚したためである。
*20:同年公開の東宝創立35周年記念作品『娘・妻・母』(成瀬巳喜男、1960)で原節子は、嫁ぎ先から実家に一時「出戻り」中に、夫と死別して寡婦になったにもかかわらず、仲代達矢の若い恋人とのキスシーンを楽しむのんきな奥さんを演じていて、実に色っぽい。仲代達矢インタビューによると、女優マネージャーからの接触禁止要請と監督キス強行命令との板挟みになりながら、原節子本人のOKにより直接唇を重ねたそうである。『新潮45特別編集 原節子のすべて (新潮ムック)』