『僕達急行 A列車で行こう』(森田芳光)

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1981年の商業的デビュー作『の・ようなもの』以来、森田芳光が追及してきたものが、まず第一に興業的なヒット、その次に作家的なこだわりだったとするならば(『森田芳光組』キネマ旬報社)、森田が長年温めてきたオリジナル企画『僕達急行』は、その作家的なこだわりが、じつに「いい感じ」かつ「いい加減」に開花した、幸福感にあふれる作品に仕上がっている。
そう、森田芳光はいい加減な映画作家なのだ。
映画よりも広告、テレビ番組制作の仕事がしたかったと話し、映画作家としての死後の名声や芸術的評価には興味をもたず、常に流行アイテムを取り入れようとし、興業的なヒットを目指しながら、必ずしもヒットせず、また、映像・音響で技巧的な工夫をこらしては逆に空回りしつつも、意外に古典的な固定ショットが撮れたりもする。
決して傑作を撮る作家ではないが、1990年代以降は、一定のペースで一定水準前後*1の作品を撮り続け、必ずしも本意ではないリメイク企画(『阿修羅のごとく』『椿三十郎』)の合間に13年ぶりのオリジナル作品(『わたし出すわ』)をこっそり撮っていたりする。*2
そんな森田芳光の作家的なこだわりといえば、卵、鉄道、ミニチュアだろう。
卵といえば、『家族ゲーム』で伊丹十三が半熟の目玉焼きをチュウチュウし、『阿修羅のごとく』で八千草薫が倒れるときに買い物袋から地面に散らばった生卵が印象深いが、今回は、松山ケンイチ瑛太の「主食」としてゆで卵が登場し、その球体イメージが画面を活気づける。それは途中から食物のイメージを離脱して、瑛太がデザインする機械部品の設計図のなかで、純粋な球形イメージに昇華されることになる。
むろん今回、最も画面を活気づけるの鉄道・電車にまつわる矩形イメージだ。
作品冒頭、不動産会社社員・松山ケンイチと「小玉鉄工所」二代目・瑛太が出会う渡良瀬鉄道の旅行場面(鉄道オタクツアー?)で、電車の進行方向を捉えたカメラが縦長の四角いトンネルをくぐり抜けるショットでは、ビスタサイズの画面が、一瞬スタンダードサイズに切り替わったような錯覚を与える。それはさらに電車内の横長の車窓、さらには駅のホームに止まる横長の電車車両によって、シネマスコープサイズに左右に拡張される感覚を味わうことになるだろう。
このように、鉄道にまつわる矩形イメージの縦横比率の変化によって、ビスタサイズ画面が、より縦長のスタンダードサイズや、より横長のシネマスコープサイズに変容する感覚を体験できるところが、『僕達急行』の鉄道映画としての魅力のひとつとなっている。それはまたビスタサイズ画面に対する、森田芳光なりの映画的回答でもあるだろう。*3
ときめきに死す』で杉浦直樹沢田研二を出迎える駅、『(ハル)』で沿線で8ミリビデオを構える赤い服の深津絵里と新幹線の中からカメラを構える内野聖陽がレンズ越しに見つめあう場面等、森田作品には、鉄道にまつわる印象深いロケーション撮影が多数あったが、鉄道マニアの会社社長・ピエール瀧松山ケンイチ瑛太が遭遇する豊後森停車場跡地のロケーション撮影は、三人が幻視する機関車イメージ(ミニチュア)との合成によって、森田芳光的鉄道イメージの集大成と呼ぶべきものとなっている。
それは、ピエール瀧社長が所有するミニチュアゲージの鉄道ジオラマのプレイルームに移り、鉄工所二代目・瑛太が故障個所を修理して、鉄道が動くようすを三人で見つめる場面につながっていく。
家族ゲーム』ではジェットコースターの模型で画面をいろどり、『メインテーマ』の夜の子供部屋で鉄道模型を動かしていたことを思うと、こうしたロケーション撮影とミニチュア模型のイメージとの融合は、長年の鉄道イメージの探求に対する、森田ならではの幸福な回答となっている。
幸福な回答といったが、模型の修理のためにジオラマの下に潜りこんだ瑛太と、壁側の棚いっぱいにつまったミニチュアゲージの電車模型を松山に見せびらかすピエール瀧とのあいだの会話(鉄道オタク談義)を、瑛太とピエール・松山のあいだをカメラをパンで往復しながら、長回しで撮るというワルノリをやってしまうのは、やはり森田芳光らしいところだ。
この会話場面は、カットを割らずに線路下の瑛太と壁側のピエール瀧、松山とのあいだをカメラがパンで往復するのだが、両者ともカメラが自分の方へパンするのを待ってセリフを言うという演出になっているので、なんともいえない間(間延び)がビミョーにおかしい。*4
このワルノリめいたパン往復撮影にも、もちろん森田芳光ならではのこだわりが出ているのだろうが、これに続く、暗い部屋の中で光るミニチュア鉄道模型が動くのを、鉄道員の制帽をかぶった三人が並んでみつめるショットにこそ、森田芳光の美質が現れていると思う。暗がりに光る鉄道のミニチュアが魅惑的なだけでなく、それを見つめる男三人の並びがすんなりビスタサイズの画面に収まっているのが、またいい感じなのだ。*5
音響効果に細かいギミックがいろいろ使われて、それが決してうまくいってないところもまた、森田芳光らしいところだろう(特に松山ケンイチ貫地谷しほりのカウンター・バーでの場面でのメガネにあわせたSE)。その一方で、「オーシャンビュー」海芝浦駅での笹野高史瑛太の「小玉鉄工所」父子の会話場面での「こだま」の音響効果、博多駅で帰京寸前の瑛太松山ケンイチが新幹線車内からホームへ呼び戻す場面でのオフの会話音声処理では、的確な技術で妙な帳尻合わせをしているのもまた、森田らしいところというべきか。
ロケーション撮影は、瑛太と松山との恋愛がらみでも、なかなかの冴えを見せている。瑛太とお見合い相手の松平千里とのピクニック場面では、迷わずふたりを丘の上の一本の木の根元に座らせてお弁当と抜かりがない。また九州の無人駅での松山ケンイチ貫地谷しほりとの再会場面は、風に揺らぐ山林を背景にして、映像的には最も素晴らしいものとなっている。
ただし、ふたりのキスシーンをロングからバストショットへのポン寄り(同軸方向の寄り)をしたうえで、鉄道オタクらしい中断でオチをつけているところは、あいかわらずちょっとやり過ぎな気もする(が、まあいいか)。
おいしい結婚』の屋外披露宴での切り返しショットもそうだが、しかるべき場所にカメラを固定すれば、それなりの古典的なショットも撮れなくはないのだが、むろん森田芳光の本領はそんなところにはない。
たとえば、松山ケンイチに好意的な社長秘書・村川絵梨の「少し好きです」というセリフの「少し好き」という言い方の微妙なニュアンスの方が、森田にとってはずっとこだわりがあったようである。*6
この「少し好き」というセリフは、単に村川絵梨松山ケンイチに対する好意を表すだけではない。それは松山本人には直接告げられないまま、松坂社長、そして専務と部長の前で繰り返し発言され、さらには文脈を変えて、社長室に呼び出された松山ケンイチの口からも「少し好き」が反復されることになるのだから、それは社長室で繰り返される符牒のようなものだ。
それは村川本人の思いとは別に、松坂慶子が高級料理とともに投入しているらしい「ヒアルロン酸」や「コラーゲン」といった単語同様、ほとんど意味のない符牒となって、社長室周辺を浮遊しているのである。少なくとも、その「少し好き」という好意を示す言葉は、「ぼくらにしかわからない世界があるさ」という、松山が瑛太とともに鉄道に抱く熱烈な思いを語る言葉とはまったく異なるものだろう。
しかし、劇中二度の失恋を味わい、「女子の気持ちはわからない」と言い切る松山も、この「少し好き」のセリフの反復によって、村川絵梨との微妙だが好意的な距離関係は保ち続けることが暗示されるのだから、この「少し好き」という言葉が示す微妙な距離感はあなどれないものがある。*7
『そろばんずく』でも、小林桂樹三木のり平を起用して「社長シリーズ」へのオマージュを示していたが、社長室での松坂慶子社長のデスクと村川絵里の秘書席の間仕切りを介した並び、西岡徳間専務と菅原大吉部長の社長室への出入り場面の演出は、より本家本元へ近づいている。中小企業の金策、九州出張に土地買収まで描いた『僕達急行』は東映作品ながら、50〜60年代の東宝サラリーマン映画全体に対するオマージュになっていると思う。*8
鉄道談義が縁で、ピエール瀧の会社の仕事を、松山ケンイチの会社と瑛太の鉄工所が共同で受注し、趣味と仕事は両立するが、瑛太のお見合いは不発、ボブスレー選手と結婚する貫地谷に松山は失恋、結局は男ふたりの鉄道旅行で映画はエンドマークを迎える。
鉄道・電車の矩形イメージと卵の球体イメージとの戯れの中に、転勤先の九州支社長が広げる、歓迎ネーム入りの三角形のペナントが紛れ込んでいるのがご愛嬌だ。*9
こんな森田芳光作品に対する長年の思いを示す言葉は、やはり「少し好き」ということになるだろうか。*10*11


森田芳光組

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の・ようなもの [DVD]

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家族ゲーム [DVD]

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ときめきに死す [DVD]

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(ハル) [DVD]

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そろばんずく [DVD]

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阿修羅のごとく [DVD]

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社長道中記 [DVD]

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列車映画史特別講義――芸術の条件

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*1:水準以上、といえないのがつらいところだ。

*2:http://www.youtube.com/watch?v=ieFBnw0uRQ4http://www.youtube.com/watch?v=oK5TTpmnuZs&feature=relmfu

*3:スタンダードサイズ画面に対しては『おいしい結婚』で、いちおうの回答を出していたと思う。

*4:このセリフ待ちパン往復撮影の演出は、監督はノリノリかもしれないが、役者にセリフを待たせてのパン往復をさせられた撮影監督/助手は、まさに「カメラていへんだ」。この鉄道談義でパン往復というのは、ひょっとして、貫地谷しほりが北陸出張時に乗ったかもしれないという「食パン電車」の映像的等価物なのだろうか、まさかね。

*5:『僕達急行』では冒頭の瑛太とアクティ、ユーカリの中米コンビの三人もそうだが、男三人組の並びが、画面にうまくおさまっている。

*6:「少し好き」の演技指導については村川絵梨のインタビューを参照。http://www.youtube.com/watch?v=JU_51ZjFsPg

*7:好意的な距離関係の持続ということは、一度見合い話を断った松平千里瑛太のふたりについてもいえることだろう。

*8:「少し好き」といいながら、DVD特典映像の『そろばんずく』の特報・予告編の映像を見ると、どうしても泣いてしまう。http://www.youtube.com/watch?v=HNDODBVD3_g。あとこれは余談だが、『阿修羅のごとく』のそば屋の場面で店員が「そば湯です」とカメラ前を通ってそば湯を置いていくのは、『そろばんずく』で木梨憲武そば湯を配る場面に対するセルフオマージュなのだろうか。まさかね。

*9:『(本)噂のストリッパー』以来、森田芳光組常連俳優の佐藤恒治が、ネイティブの博多弁を活かして、中洲に詳しい九州支社の幹部社員を好演しているのがなんともうれしい。

*10:「すごく好き」という愛のあふれる、ライムスター宇多丸氏のレビューは必聴。http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20120414_hustler.mp3宇多丸氏も言うように、森田芳光に対して「すべて好き」というのは、ちょっと難しい。

*11:デビュー作『ライブ・イン・茅ヶ崎』を『ヨーロッパ横断特急』(アラン・ロブ=グリエ、1977)と比較参照しながら『僕達急行』を論じた加藤幹郎の論考「処女作へと走行する森田芳光の遺作『僕達急行 A列車で行こう』」も感動的。(加藤幹郎『列車映画史特別講義 ― 芸術の条件』45講、142-143頁、岩波書店、2012)