『接吻』(万田邦敏)

ネタバレ注意!http://seppun-movie.com/

https://www.youtube.com/watch?v=KMpDB2AdhB8
(1の続き)
文字中心主義的なコミュニケーション
キャッシュカードの暗証番号のメモ書き、深夜タクシーの領収書、犯行声明メール、事件の記事と豊川の経歴を書き写したノート、豊川への手紙と「西東京拘置所内坂口秋生」の住所・氏名が裏書きされた豊川からの返信、婚姻届けへの署名…。
このように列挙してみると『接吻』全編が、いかにエクリチュール過剰、文字中心主義的なコミュニケーションから成り立っているかが、あらためて実感されるだろう。
またそれは、逮捕後の豊川の黙秘パフォーマンスと結びついて、反音声的ともいえる戦闘的なコミュニケーション・スタイルをも形成している(逮捕時の取調べで豊川が話したとされる「死刑になりたい」等の発言内容は、すべてマスコミや他者の証言によって代弁され、観客に伝えられるのだから、これは単なる無言や沈黙とはまったく違う、戦略的に演じられた反音声的コミュニケーション・スタイルである)。
義兄からの手紙
文字コミュニケーションに積極的に関与するのは、小池栄子豊川悦司のふたりだけではない。豊川の唯一の肉親である兄・篠田三郎もまた、豊川の幼少時代の写真を同封した手紙を小池に贈ることで「弟の嫁」を祝福している。
この篠田本人のナレーションで読まれる手紙のシーンで写真以上に重要なのは「坂口辰巳」という篠田直筆の署名の文字だろう。篠田は豊川の写真とともに家族の署名入りの手紙こそ、小池にとって最も悦ばしいプレゼントであることをわかっているかのようだ。
群馬での最初の「お見合い場面」*1から、自分の家族とは疎遠にしているという「運が悪い女」小池を篠田は「弟の嫁」にふさわしい女性として全面的に承認・信頼していたのだから、この義兄からの結婚の祝福の手紙は『接吻』のエクリチュールのなかでも、最も幸福感にあふれたものとなっている。
文字を書かない男
『接吻』という、これほどエクリチュール過剰で、文字中心的/反音声的なコミュニケーション世界にあって、なぜか文字をまったく書かず、ひたすら音声的コミュニケーションに徹する人間がひとりだけ存在する。「国選弁護人長谷川ユキヒデ」こと弁護士・仲村トオルがそれだ。
彼は手紙もメモもメールもいっさい書かず、キーボードにも触れようとしない。法廷ではペンを持ち、豊川との接見では書類を広げてはいるが、文字はおろか落書きをする素振りさえ見せようとしない。仲村は淀みない弁護士口調でひたすら語り続ける。接見室では黙秘する豊川に事件について話すことと控訴することを促し、公判では黙秘を続ける豊川の情状酌量を訴える。
この淀みない弁護士口調による音声コミュニケーションこそは、仲村の弁護士としての「職務」のすべてである。ときには小池栄子との会話の際に「心配」という情動的な単語によって口調が乱れる場合もあるが、ふだんは淀みのない「弁護士口調」がネクタイと弁護士バッジとの3点セットとなって、弁護士・仲村の職業的アイデンティティを支えているといえるだろう。
(黙秘パフォーマンス/左利きのエクリチュール/弁護士口調)の3項対立
そしてここまでくれば、この仲村の「弁護士口調」と豊川の「黙秘パフォーマンス」と小池の「左利きのエクリチュール」の3項が、『接吻』の文字と音声のコミュニケーションの主題に関して、構造的な対立関係にあることは、じゅうぶん了解していただけるだろう。
小池・豊川という「反音声/エクリチュール過激派」のカップルの仲介役*2をよりによって「反エクリチュール/音健派(?)」の弁護士・仲村トオルが演じてしまっているということにこそ『接吻』という三角関係の悲劇の一番の要因があるのだ。
このありえない三角関係/3項関係から、声と文字をめぐる欲望の恐るべきねじれ現象が生じていくプロセスをさらに追っていかなければならない。
(3へ続く)

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再履修とっても恥ずかしゼミナール

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*1:28歳独身女性が弁護士の紹介で43歳独身男性の兄と郊外のホテルのレストランで会食するというのは、いささか変則的ではあるが「獄中結婚」というプロデューサーの「無理難題」に見事に応じた、立派な「お見合い場面」である。

*2:豊川の兄・篠田三郎と仲村・小池による3人での会食を「お見合い」とみなすならば、この群馬への男女ふたりの逃避行めいたドライブで、仲村は自分ひとり知らぬ間に小池・豊川夫婦の「仲人役」を演じてしまっていることになるわけだ。本当に「運が悪い」のは仲村トオルのほうである。