『任侠ヘルパー』

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海辺の再生のドラマ

草なぎ剛が主人公・翼彦一役を演じ、西谷弘が第1話、第8話、最終話、スペシャルと演出を担当したテレビドラマ版『任侠ヘルパー』(フジテレビ)での、ヤクザがヘルパーの研修を受けるという設定は、西谷弘の映画第一作『県庁の星』(2005)で、エリート県庁職員・織田裕二がスーパーマーケットで研修を受けるというものと、同型パターンだった。
エリート県庁職員と幹部候補のヤクザ、スーパーマーケットと介護施設という違いはあれ、研修先の「海辺の弱小施設」の再生作業を通して主人公自身も再生するという過程の描写に、西谷弘の作家的な一貫性を見ることができるだろう。*1
テレビドラマの最後ではヤクザからカタギになった草なぎ剛が、映画冒頭で刑務所入りしてヤクザに戻って「都落ち」することで、映画版『任侠ヘルパー』はあたかも「新網走番外地・介護篇」とでもいうべき、テレビドラマ版とは独立した様相を見せている。
テレビドラマ、映画ともに「任侠道、弱きを助け、強きを挫く」というボイスオーバーが使われているが、今回の映画化においては、その「任侠」の意味が「時代遅れのヤクザの義侠心」という一般的なレベルから、一種の「映画的な倫理」へと書き換えられていることに注意しなければならない。
このタイトルにも含まれる「任侠」の、映画的な書き換え作業がどのようなかたちでおこなわれているかを、具体的に確認していこう。
 
(以下、ネタバレ含む)
  
「着替えること」と「怒鳴ること」

深夜のコンビニのレジで、マニュアル通りの台詞を棒読みしながら接客していた草なぎ剛が、とつぜん同僚の店員(風間俊介)に刃物を突きつけて、カバンに金を入れる要求をしてきたフルフェイス・ヘルメットのコンビニ強盗の老人(堺正章)を、服の下の入れ墨を露わにしながら、あっさり取り押さえる。
草なぎはヘルメットの下の堺の白髪頭を確認すると、あらためてレジの現金をカバンに詰め、この金で足を洗えと堺に手渡して見逃す。その様子の一部始終は監視カメラの映像に撮影され、レジの損害金額は自分の給料から返済すると主張するが、カメラに映った入れ墨のために草なぎは店を解雇され、さらには警察相手に乱闘・逃走劇を演じて刑務所送りになる。
刑務所内で堺と再会した草なぎは、堺の元々所属していた暴力団・極鵬会への紹介状を彫った将棋の駒を渡される。
堺はあっさり病死し、その遺骨は音信不通だった娘・安田成美に引き取られる。出所した草なぎは子分志願の風間俊介の強引な出迎えを受けるが、ヤクザに敵意を持つ安田成美が草なぎに与える形式的な感謝の礼はよそよそしい。
コンビニ店員の制服から囚人服、服の下から見える背中の入れ墨と、冒頭部分に現れた主人公の外観の変化を見るだけで、この映画では衣装の主題、より正確には「着替えること」が主題論的に重要な身振りとなることが予想される。
堺正章の故郷である静岡県の大海市(熱海市?)には、バツイチの安田成美が認知症の母(草村礼子)と幼い娘と息子を抱えて働きながら暮らしている。
安田の高校時代の恋人で、現在「観光福祉都市プロジェクト」を進める二世市会議員で弁護士の香川照之はいまだ独身のまま、自宅介護の安田の母親のために、最新の介護施設を特別に斡旋しようとしている。
「組もシノギもない」草なぎは、風間とともに大海市の旅館に現れると、大広間に出張ホステス呼んでバカ騒ぎする。ひとりのホステス(夏帆)が宴会中に電話で中座し、その相手が地元のヤクザと知るや、草なぎは携帯電話相手に怒鳴りながら夏帆の服を破って押し倒す。電話の挑発に乗って旅館に現れた極鵬会組員(阿部亮平)たちを叩きのめすと、草なぎは堺の子分だったと詐称し、そのまま極鵬会・組長(宇崎竜童)、若頭(杉本哲太)に客人待遇として迎え入れられ、老人介護・宿泊施設「うみねこの家」を使った年金詐取のシノギを手に入れる。
草なぎと風間は「うみねこの家」の青いスタッフジャンパーに着替えると、リストアップされた老人たちを借金漬けにしては施設で飼い殺しにしようと、施設と病院と市役所を黒のワンボックスカーで往復しながら、年金と介護保険生活保護の荒稼ぎを始める。
草なぎ剛が低音のヤクザなセリフでドスを利かし、杉本哲太阿部亮平といった強面の男優を揃えた『任侠ヘルパー』は『アウトレイジ』『アウトレイジビヨンド』(北野武)と同様に「バッカヤロー」等々、多くの怒号・罵声が飛び交うが、そこで怒鳴るのは男だけではない。
うみねこの家」の管理人(りりィ)は、ヘルパーの資格をもちながら、昼間から焼酎を飲んだくれている。杖をつきながら施設を案内するりりィは、老人たちや草なぎたちを杖を振り上げて怒鳴り、叱り飛ばす。決して大声ではないが、突き刺さるように発せられるりりィの罵声は素晴らしい。
このように怒鳴る男女がいる一方で、怒号を発しないグループも存在する。
演説と交渉を主武器とする弁護士/市会議員の香川照之は、もちろんヤクザのように怒鳴ることはない。またヤクザの中でも、組長・宇崎竜童は、劇中決して声を荒げることなくソフトな口調を保ち続ける。*2
「着替えること」と「怒鳴ること」。この2つの主題系が『任侠ヘルパー』という作品の重要な構成要素となっていることは、主人公・草なぎ剛が着替えと怒号という身振りを両方とも担う存在であること、またそれによって物語に決定的な変化と運動を導入していることからも明らかだろう。
怒鳴るだけ(ヤクザ)、着替えるだけ(ホステス)の存在なら他にもいるが、両方の身振りを一貫して演じられる存在はなかなかいない。
「着替えること」と「怒鳴ること」という主題系のほかに『任侠ヘルパー』にはもうひとつ重要なファクターがある。それは引き戸/カーテン等による空間分節(間仕切り)である。*3

引き戸による空間分節(間仕切り)

「ヤクザの世話は受けたくない」と草なぎたちの会計を支払って食堂を出た安田成美の背後で閉じた自動ドア、「うみねこの家」を囲む蛇腹式のアルミ壁、認知症の祖母を見舞いに行った幼い姉弟が「病室」から飛び出すときに慣性で自動的に閉じたスライド式の引き戸、ワンボックスカーから飛び出した男の子が草なぎに抱きついた背後で閉じた病院の自動ドア、入札会場の「殴り込み」で草なぎが通路を塞いだ防火扉、事故で入院した香川照之の病室のドア、等々、ここではすべての空間分節(間仕切り)が「引き戸」によって行われている、といっても過言ではない。
安田成美が運転する廃車寸前(?)の白のダイハツハイゼット、草なぎと風間が「うみねこローン」の取引に使う黒のワンボックスカーと、車もスライド式ドアがメインで「引き戸」中心主義は徹底している。
空間を横に区切るものであれば、その仕切りは別に扉である必要はない。
うみねこの家」の最初の訪問場面で、施設の老朽感、不潔感を演出していたのが、薄暗い照明設計以上に、個々の寝床を仕切るカーテンの薄汚れた質感だった。*4
また、香川照之が斡旋する最新介護施設では、清潔で新品のカーテンこそが、安定剤の過剰投与で呆けた草村礼子を周囲の視線から隔離する仕切りとして冷酷に機能していた。それは自動ドアでもないのに勢いで自動的に閉まる病室のスライド式ドアとあいまって「福祉社会」特有の空間分節を、祖母を見舞いに来た孫たちの前で体現していた。
草なぎたちは「うみねこの家」を改築し、そうした空間分節(間仕切り)を変えようとする。
そのきっかけとなるのが、安田成美による母親の介護施設からの強引な退去なのだが、映画前半のクライマックスをなす、この脱出/逃走劇のような緊迫感あふれる退去場面に至る安田成美の変貌ぶりが素晴らしい。
昼間はヘルメットに作業服で港湾労働者として働く安田成美は、香川照之の斡旋で母親が介護施設に入居すると、夜もホステスとして働き始め、店で早速香川の指名を受ける(店はスチュワーデス・サロン?)。
昼間のヘルメット・作業服の労働者から、夜はアクセサリーとドレス姿のホステスへ。安田成美もまた着替える存在なのだ。
見送りに店外に出たところで、安田に香川は強引にキスを交わすが、そのキスを安田は冷静に受け流すと、母の介護施設入所斡旋の礼を言って、香川を見送る。
安田が店内に戻ると、草なぎがカウンターに座っている。昼間、祖母を見舞ってショックを受けた子供たちに会った草なぎは、安田にも施設に見舞うよう忠告するが、安田はヤクザが子供に近づくなと草なぎを追い返す。
苦い顔の草なぎの携帯のカメラには、安田と香川とのキス写真がいつの間にか撮られている。

閉塞空間からのレスキューとしての「任侠」

翌日、介護施設に見舞いに行った安田は、安定剤を過剰投与された母親が廃人同然となっていて、娘の自分の存在も理解できてないことにショックを受ける。しかし介護士(美保純)は投薬でようやく鎮静して共同生活を送れるようになったこと、毎日見舞いに来ればまた思い出すだろうということを、にこやかに説明する。
その美保純の笑顔の説明を断ち切るように、安田はいきなり事務局を飛び出し、病室で暴れる草村礼子を無理やり車椅子に乗せる。
こんなところに母は置いておけない、と啖呵を切って、制止する美保純を振り切り、茫然とする子供たちを引き連れ、施設を出ると、外の道路に停めたダイハツハイゼットのワンボックスカーに一家全員を乗せて発車しようとする。
まるで介護士・美保純の虐待から母親を救出しようとするかのような、安田成美の突発的な決断と行動は感動的だ。*5
美保純の介護士としての良識的な説明に直観的に逆らい、安田は「ヤクザの娘」ならではの衝動的・暴力的な脱出劇を敢行する。泣きわめく草村礼子を無理やり車椅子に乗せ、子供たちを怒鳴りつけ病室を出ると、次のショットではもう施設の外に飛び出している。
ハイゼット草村礼子と子供たちを乗せると、怯える子供たちに「早くドアを閉めて」と怒鳴りつけるばかりか、勢いあまって車のエンジンキーまで折ってしまうのだ(安田成美一家の乗るハイゼットは廃車寸前のボロ車だが、キーが折れて安田が叫ぶショットはホラー調)。
この安田の怒号に呼応するかのように、介護施設に隣接する病院で老人の勧誘を終えた草なぎと風間が現れると、ハイゼットから飛び出した下の男の子は、草なぎに向かって走り出し、その腰に抱きつく。*6
病院から出てきた草なぎのアップと、車の中で叫ぶ安田とがガラスごしに見つめ合う切り返しは、安田が「閉めて」と叫んだワンボックスカーのスライド式ドアと、子供が駆け寄る瞬間、草なぎの背後で閉じる病院の自動ドアによる空間分節が連動し、路上にも関わらず、絶望的な閉塞感が演出されている。
ハイゼットのキーをブチ折る安田の凄まじい怒号は、そうした空間の閉塞感への怒りの叫びであると同時に、またそこからの救済を訴える悲鳴にもなっている。
草なぎが、ワンボックスカーに閉じ込められた安田成美一家を「うみねこの家」へと連れて行くのは、抱きついてきた男の子に対して、情をほだされたから、というだけではない。
冒頭のコンビニ強盗の場面でも、強盗に失敗して床に倒れた堺が同様の閉塞状況に陥っていたのを草なぎが助けた時、やはり堺の背後でガラスのドアがいつの間にか閉じていたことで閉塞感を強調していたことを思い出そう。
草なぎの「任侠」「弱きを助け強きを挫く」とは、こうした空間分節による閉塞感への闘い、そこで苦しむ者たちの救出活動として発揮されるものなのだ。
こうして安田成美は「うみねこの家」に母・草村礼子を預け、草なぎたちも「ゴミ溜めみたいな施設」の改装・再生を始めることになる。
それは草なぎとりりィとの怒号・罵声の応酬という「声の活劇」を伴うのだが、それを引き出したのが、最新介護施設から母を強制退去させた安田成美の衝動的なアクションと怒号であるのはまちがいない。
安田成美もまた、草なぎと同様に「着替えること」「怒鳴ること」によって映画を動かしていく存在なのだ。ふたりが惹かれあうようになるのは、主題論的な必然といっていい。
うみねこの家」の改装工事で、寝床を細かく仕切っていた壁とカーテンは取り払われ、施設は開放感を取り戻す。ホステス・夏帆も幼い妹弟たちを連れて施設運営に参加し、老人たちのリハビリに歌と振り付け(『渚のシンドバッド』)を教える。
濡れた服を脱いだ草なぎの背中の入れ墨を見て、草村礼子は夫・堺正章の記憶を取り戻すと、縫製工場勤めのミシンの腕前を披露するまで回復し、安田を驚かせる。

カーテンの意味論

安田はミシンのある広間の窓と真向いになっている部屋で草なぎと二人っきりになると、いきなり窓のカーテンを閉めて、草なぎの入れ墨を自分にも見せるよう懇願する。カーテンが窓の光を遮り、淡い光の空間のなか、安田は草なぎの背中に手を押し当て、幼い日、母がミシンをかける横で、父の背中の入れ墨を押した記憶を回想する。
この回想ショットそれ自体は残念な出来なのだが、ここで注目すべきなのはカーテンの演出だ。
それまでは寝たきり老人の寝床を閉鎖的に分断していたカーテンが、ここでは窓の外からの視線と光を遮り、男女二人だけの時空間を分節しているのだ。その過去と現在の背中の感触を同じ母親のミシンの音が媒介する。
いきなりカーテンを閉めて、草なぎに服を脱がさせて、その背中の入れ墨の感触を確かめる安田成美は、母親をいきなり介護施設から強制退去させたように、まぎれもなく「ヤクザの娘」である。
カーテンはすぐに開けられ、向かいの窓で手を振る草村礼子に対して草なぎに無理やり手を振らせるといういかにも微温的なオチで、このふたりの「ラブシーン」は終わるが、この場面が香川照之の安田成美への屋外でのキスシーンと対極関係にあることに注意しよう。
香川と安田のキスシーンは、夜の店外、酔いにまかせて強引におこなわれ、しかも草なぎの携帯のカメラによって写真撮影されていた。過去の恋人どうしの親密であるべき接吻が、車の到着であっさり中断され、他者の視線に対してまったく無防備のまま盗撮されてしまった。
一方で、草なぎとの「ラブシーン」で安田はカーテンで視線を遮ることで草なぎの背中の入れ墨の感触に浸る。ともに過去を媒介にして安田成美と関係を結びながら、視線の遮断と空間の共有の仕方において、香川は草なぎに決定的に敗北している。
窓越しに母に手を振る二人を、施設の囲いの外から見つめる香川の視線につなぐ画面展開は、そうした恋人たちをめぐるカーテンの意味論を示している。カーテンによる空間分節のあり方は、ここで決定的に変容しているのだ。

雨の使用法

とつぜんの雨のなか「うみねこの家」に市の立ち入り検査が入る。草なぎは施設と隣接する事務所で、雷鳴の響くなか香川と対決する。白ずくめのレインコートの検査員の不気味さ、土砂降りのなか安田に自分の傘を渡して立ち去る香川の苦渋。ここでの雨降らしは、晴天のなかでの強引な放水に見えてしまうのが残念だが、その映画的な効果は決してムダではない。
この立ち入り検査のせいで「うみねこ家」のシマを取り上げられそうになった草なぎは、携帯の「キス写真」を杉本哲太に渡す。その交換条件で「うみねこの家」はとりあえず守られるが、その苦渋は深い。
携帯写真は早速活用され、入札と発表会見を前日に控えた香川の車は事故に巻き込まれ負傷する。スリップ事故の車の前に投げ出された乳母車には「介護施設斡旋の見返りに性的行為要求」の中傷ビラが写真入りで大量に積まれ、負傷して道路に投げ出された香川は愕然とする。
草なぎが車で安田と子供たちを家に送ったところへ、草なぎの携帯に昔の仲間の黒木メイサの警告電話が入る。そこへ安田の携帯に香川の事故の連絡が入り、草なぎには「うみねこの家」が火事だという連絡が続けざまに入る。
事故と火事のたたみかけ、両被災者が搬送先の病院で鉢合わせという展開も見事だが、雨上がりなのに動きっぱなしの草なぎの車のワイパー、スリップ事故の香川が這いつくばる濡れた路面と、雨を効果的に降らせるだけでなく、止んだ後まで計算して有効活用した例は、最近の日本映画では珍しい。*7

カメラ前での殴り込み戦術

プロジェクトの入札・発表会見当日、半焼した「うみねこの家」の床に病院を抜け出した認知症の老人(品川徹)が座り、夏帆に教わった振り付けで手拍子を打ちながら『渚のシンドバッド』を歌っている。
草なぎの「終わったんだ」という怒号と制止の手を振りきって、品川徹は手の振りと歌を続ける。最初は寝床に縛られていた品川の見事な回復ぶりである。
品川徹認知症からの回復は、草なぎが横に連れ添って歩く場面から始まっていたが、ここでは草なぎの手を意志的に振り払い、歌い、手拍子をするほど手の動きが回復しているのが感動的だ。そして、この品川の回復と反比例するかのように、これ以降の草なぎは歩行困難に陥っていくのだ。
渚のシンドバッド』を歌い続ける品川を見て草なぎは笑い出すと、青いスタジャンを脱ぎ、黒眼鏡と黒服に着替え、入札会場に向かう。
病院では香川が、杉本哲太阿部亮平ら、極鵬会に仕切られた入札会場のネット中継を悔しそうに見ている。その中継画面にとつぜん怒号が響くと、鉄パイプをもった草なぎが会場に乱入し、杉本哲太の目の前で「ここは俺たち極鵬会のシマだ」「こんな入札は絶対認めねえ」「極鵬会なめんじゃねえぞ」と、鉄パイプを振り回して壇上に上がり、会場を大混乱に陥れる。
草なぎと切り返しで目があった杉本は「生かしてここを出すな」と手下に命令するが、カメラで実況中継されるなか、ヤクザがヤクザとして暴れられない状況を逆手に取った殴り込みで機先を制した草なぎは、非常ベルを鳴らして防火扉を閉めながら、会場じゅうを暴れ回ると、二階から階下のプロジェクト模型の上への大ジャンプを敢行し、足をひきずりながら、会場から逃げようとする杉本哲太阿部亮平を外へ追う。
そこへ病院から抜け出した風間俊介が駆けつけ、阿部亮平を棒で殴り倒す。会場前にはパトカーも駆けつけ、身動きの取れなくなった杉本哲太は、車の助手席で青ざめて黙り込む。
この「殴り込み」場面での草なぎの杉本哲太に対する勝利は「ヤクザはヤクザである」という命題(ゴダール?)をカメラの前で徹底的に演じきったことにある。
むろん草なぎが「極鵬会」を名乗ることは一種の詐称である。だがそうした詐称も込みの暴力行為こそ、ヤクザならではのパフォーマンスであり、それをカメラの前で堂々と演じた草なぎに、そうしたヤクザ的パフォーマンスを禁じられた杉本は沈黙と敗北に追い込まれるのだ。
冒頭、コンビニの監視カメラに入れ墨を晒し、中継カメラの前で「殴り込み」を演じる草なぎの主人公は、カメラ・映像が遍在する時代における任侠映画のヒーロー像を提示するものだ。
ここでホンモノの極道=ヤクザとは、カメラ・映像に臆することなく「ヤクザはヤクザである」自分自身を露呈し、自己演出できる者のことである。また、そうすることで「弱きを助け強きを挫く」。
入札会場の「殴り込み」事件の報告を受けた宇崎組長は、警察よりも早く草なぎたちを捉まえるよう、ヤクザ側で「非常線」を張り、パトカーと暴走族が入り乱れる。
そこへ、テレビドラマの「相棒」黒木メイサの車が「緋牡丹シリーズ」の若山富三郎よろしく「お約束レスキュー」として登場すると、草なぎと風間を海岸に連れ出しボートに乗せて夜の海へ逃がそうとする。しかし、夏帆にまだイッパツもやらしてもらってないから残ると、バカ子分・風間俊介がゴネ出すと、「殺されるかパクられるかのどっちか」を覚悟で、草なぎも子分のバカに付き合う羽目になる。
その海岸からは「うみねこの家」が真向いに見えるが、その焼け跡には安田成美一家、夏帆きょうだい、管理人・りりィ、病院を出た老人たちが、テントを張って食事を作っている。まるで被災地のキャンプ状態だ。風間を夏帆に預けると、草なぎは再び出かけようとする。心配する安田成美を「あの写真を組に売ったのはオレだ」と振り切ると、草なぎは痛めた足を引きずりながら、ひとりで極鵬会との最終決着に向かう。
夜道で認知症の老人とすれ違うが、もはや草なぎのほうの足取りが覚束なくなっている。極鵬会・宇崎組長が待ち受ける夜の路上へ、足を引きずりながら向かう。待ち受ける組員に暴行を受け、路上に横たわる草なぎは、認知症患者を模倣するかのようだ。
寝たきりだった認知症の老人たちが回復したコースを逆行するかのように、今や草なぎは身体の自由を失い、路上に横たわることで施設と老人たちを守ろうとする。*8
草なぎが完全に動けなくなったところへ、病院から抜け出した香川照之が安田成美とともにタクシーで駆けつけ、松葉杖をつきながら、宇崎組長と新たに対決する。
議員辞職した香川は、キス写真付きの中傷ビラを破り捨て、宇崎組長と極鵬会に弁護士として徹底抗戦することを宣言し、極鵬会を立ち去らせると、草なぎ同様路上にへたりこむ。
ネット画面の草なぎの「殴りこみ」映像に励まされた香川照之が、一度は携帯写真の脅迫に屈しながらも、ヤクザとの徹底抗戦を再開する。ここで「任侠」とは、ヤクザ、カタギを問わず、カメラ・映像が遍在する社会において、臆せず戦う覚悟のことである。
極鵬会の去る前に、香川と安田の乗ってきたタクシーはとっくに逃亡していて、深夜の路上に這いずりながら呻くように罵り合う男ふたりを、安田成美は微笑みながら見ている。
閉鎖的な空間から解放され、身体の自由を回復していった老人たちと逆行するように、歩行の自由を失い、路上に倒れ込んだ草なぎの横に松葉杖の香川照之が現れ、草なぎと共に路上に倒れ込む。
警察とヤクザに追われ施設にいられなくなった草なぎと、議員辞職して施設建設と無縁になった香川とが、揃って歩行障害に陥り、路上に横たわる。安田成美も黙って微笑み、もはや物語の運動の余地は残されていない。
着替えること、怒鳴ることから、歩行障害、這いつくばりに至る、身振りの共有の連鎖の三角関係が均衡・飽和状態に至り、説話の運動の持続が終結を迎えようとしている。
朝日をバックに浮かび上がる「うみねこの家」の風見鶏のシルエット、駅の掲示板から香川照之のポスターはがされるショットが、夜明けの時間経過を的確に示す。前半、安田一家がハイゼットを最初に運転する場面で、このポスターから演説場面への見事なディゾルブがあったのが、もはや夢のようだ。
早朝の無人駅で待ち伏せしていた香川が「殴り込み」事件の弁護を申し出て、草なぎの「高飛び」を引き留めようとする。
安田成美にも草なぎは必要な存在だと、香川が言うと、草なぎはホーム走り出す。
「バカかお前は。ヤクザの娘として長年苦しんできた女を幸せにできるのはオレなんかじゃねえ」
そこへパトカーが駆けつけ、香川が笑って見送るなか、草なぎはホームから線路へジャンプ。
海辺の高架線の線路を走る開放感は、日本映画では久しぶりだ。そこには何の間仕切りもない。
警官に追われながら、海沿いの高架線を走るとトンネルに行き着く。振り返って笑うショットにボイスオーバー。
「任侠道、弱きを助け、強きを挫く、そんなホンモノの極道にオレはなりたかった。ホンモノ?」

映像監視時代の任侠映画の再構築

映画『任侠ヘルパー』における「任侠」「弱きを助け強きを挫く」とは、草なぎがコンビニの監視カメラの前で入れ墨を晒し、レジの現金を与えるというように、カメラ・映像の存在を前提にしたヤクザの行動倫理として描きなおされている。
それは決して時代遅れの義侠心ではなく、カメラ・映像が遍在する時代にヤクザ/任侠映画をどう再構築すべきかという問いにたいするひとつの回答例となっている。
「殴り込み」場面では、カメラ・映像の前であえて「ヤクザ」を演じることができるかどうかが、新しいヤクザ/任侠映画の闘争スタイルのキーポイントとなっていた。
その映像はネットで中継され、一度は携帯カメラによる脅迫写真に屈した弁護士・香川照之も、新たな闘争の覚悟を呼び覚ます。任侠は映像を介して中継されるのだ。*9
また引き戸/カーテン等による空間分節(間仕切り)を通して、閉鎖的な空間に苦しむ人々を救出し、その閉鎖的な分節を破壊することが、「弱きを助け、強きを挫く」任侠空間演出となることを提示していた。
その過程で演じられる身振りが「着替えること」「怒鳴ること」であり、この二つの身振りを共有することで、草なぎと安田は惹かれあう。そこでは接吻より濃厚な手と背中の接触が交わされ、閉鎖的な間仕切りだったカーテンが、恋人たちの場所を淡い光で演出するスクリーンに変容しさえするのだ。
映画『任侠ヘルパー』は、明白な欠点もあり、決して突出した傑作ではないが、主題論的戦略と空間分節の二点において、2012年のメジャーの日本映画のなかで最も創意工夫にあふれた作品だと思う。*10
これは余談だが『任侠ヘルパー』は、草なぎ・翼彦一が全国の介護施設をめぐって、介護疲れのシングルマザーと毎回恋仲になるという設定で、『網走番外地』のようにシリーズ化することはできないだろうか。*11
今回は浮き気味で悪評だった「相棒」黒木メイサも、毎回東京から駆け付けては、相手の子連れ女に嫉妬しながら、草なぎの急場を助けるという役にパターン化すれば問題はないだろう。いっそのことマキノ雅弘のように「一人二役マドンナ」という反則技(!)も、場合によってはありだろう。
少なくとも「雪国死闘篇」と「南国望郷篇」の2本は撮ってほしい。
(初出、2012、12.16)
「海辺の弱小施設」の疑似家族的共同体を舞台に、鉄火女と一匹狼と優柔インテリが祝祭的騒乱を巻き起こすという構図は、森崎東作品と共通する部分が大きい。冒頭の刑務所内部の描写も『塀の中の懲りない面々』(森崎東、1987)と重なっている。
認知症の母親の介護を扱った森崎東の新作『ペコロスの母に会いに行く』(2013)に宇崎竜童が特別出演しているのは『任侠ヘルパー』からの流用に見えて仕方がない。
なおテレビドラマ版『任侠ヘルパー』第5話で、28年前に家庭を捨てて男と逃げた挙句、介護施設で主人公と再会する母親役を、倍賞美津子(役名「さくら」)が演じているのもまた因縁か。
http://d.hatena.ne.jp/jennjenn/20140111
http://www.dailymotion.com/video/xq77wh_ninkyo-helper-05_fun
(追記、2013、11.24)

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*1:県庁職員のバッジとヤクザの組員のバッジの同型性もそこには見える。なお西谷弘における「海」のありかたについては、以下のブログを参照。http://movie.geocities.jp/dwgw1915/newpage158.html。また次回作『真夏の方程式』は柳島克己の撮影を得てさらに陰影の深い「海辺の映画」になっているだろうことが予告編からもうかがうことができる。http://www.galileo-movie.jp/index.html

*2:怒号と睨みを主武器とするヤクザグループのトップである、宇崎竜童の終始穏やかな口調と眼つきが醸し出す独特の威圧感によって『アウトレイジ』とは違ったヤクザの怖さが演出されていたのは特筆すべきところだろう。なお、宇崎竜童と三浦友和という因縁浅からぬ「ボスキャラ」のキャスティングに注目すると、ホモソーシャルな「声の活劇」(上野昂志)である『アウトレイジ』『アウトレイジ ビヨンド』と『任侠ヘルパー』とのあいだには微妙な相補関係を読み取ることも可能だろう。

*3:西谷弘には『容疑者Xの献身』(2008)で、電話だけで連絡しあうアパートの隣どうしの男女のトリュフォー的悲恋を描いた際、アパートに二世帯しか住人が存在しないかのように(そんなはずはない)、二部屋の隣接関係を抽象的に造形したうえ、分割画面と窓枠の矩形によって、隣あう二部屋を入れ子式に形象化しようとした輝かしい「前科」がある。「隣どうしが同じ色になってはいけない」四色問題トリュフォー的変奏。

*4:うみねこの家」の見事なセットを作った美術・山口修の仕事は素晴らしい。シーン数の多いこの作品で、メジャーの予算をじゅうぶん生かしたセットの質・量の豊富さは、低予算作品ではまず無理なものだろう。

*5:いかにも良識的で笑顔の介護士役に美保純というキャスティングが素晴らしい。『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』では極悪非道な売春元締めマダム役として惨殺された、美保純の笑顔で一見親切な説明が、安田成美の「ヤクザな娘」の暴力性を突発的に現勢化させるきっかけとして映画的に着実に機能している。美保純の女優としての魅力が、その声の響きの本質的な不機嫌さ、不愛想さにあることを、あらためて認識させられる。

*6:この男の子の疾走場面がスローモーションなのは大きな減点対象なのだが、その一方で、この男の子が着ているジャンパーが草なぎが着ている「うみねこの家」のスタッフジャンパーと同系色の青であるというカラーコーディネートを加点すれば、ここはオマケしてプラスマイナスゼロ、ということでまあいいでしょう。

*7:低予算作品で雰囲気だけの雨を降らせる作家たちは、こうした「メジャーの知恵」を大いに参考にすべきだろう。

*8:この路上での暴行場面は「うみねこの家」のテント場面とカットバックされて映像的に微温化されたうえ、感傷的な音楽で音響的にも塗りつぶされている(暴行の音はカット)。ここには明らかに編集による「自主規制」が働いている。「自主規制」といえば、テレビドラマ、映画ともに花札・サイコロ賭博が一切描かれていないのもそうだろう。将棋の駒がヤクザの遺品というのは、任侠映画の小道具としてはやはり物足りない。

*9:携帯写真の隠し撮りをしたのも草なぎであることに注意しよう。こうした脅迫ネタの隠し撮りを抜かりなくおこなう点でも彼は「ホンモノ」のヤクザ/極道なのだ。

*10:りりィ、宇崎竜童には助演賞を上げたい。美保純と並んで品川徹のキャスティングも素晴らしい。また1946年生まれの堺正章(ザ・スパイダーズ)と宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)のふたりが同期の地元ヤクザ仲間という配役も味わい深い。これで老人たちがリハビリで歌う曲が『横須賀ストーリー』(作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童)ならば最高だったのだが(「これっきり これっきりもう これっきりですか…」)。https://www.youtube.com/watch?v=8SGbFL1WHD4

*11:ただし1作110分以内にまとめることが条件。134分は長すぎるし、ムダが多い。