『素晴らしき放浪者』『ドラブル』ほか
『ドラブル』(ドン・シーゲル、1975)は、マイケル・ケイン演じる英国情報部員が「ドラブル」と名乗る謎の男のグループに息子を誘拐されるスパイサスペンス・アクションだが、英国国内で事件が始まり、英国国内で事件が終わるこの映画では、なぜか身代金の引渡し場所として唐突にパリが指定され、パリに渡ったマイケル・ケインがセーヌ川の橋の上から飛び降りるというアクションを演じる場面がある。*1
身代金のダイヤの原石を情報部の金庫から盗んでパリに向かったマイケル・ケインは「ドラブル」にダイヤを奪われると、気絶したままパリ警察に逮捕される。狂言誘拐犯として英国に強制送還されることになったマイケル・ケインは、途中で車から逃亡すると、夜のセーヌ川の橋の上から砂(?)を積んだ運搬船の上に飛び降りるアクションを敢行する。
こうして脱走したマイケル・ケインは、独力で英国に舞い戻ると、不和だった妻の協力を得て、誘拐の黒幕の解明と子供の救出に成功するのだが、結局、誘拐された子供と誘拐犯の黒幕はずっと英国国内にいたわけだから、このパリに渡っての身代金引渡しの部分は、全体のストーリー展開からみれば余計な迂回、いわば説話論的無駄足(!)でしかなかったということもできる。
ただし、そうした迂回のなかで撮られた、夜のセーヌ川の橋の上からのダイブは、ドン・シーゲル的「橋」の主題論的機能を開示するアクション場面として注目に値する。
<彼にあっての「橋」は、渡るという水平の運動を始動せしめることなく、飛び降りるという垂直の運動の契機として敷設されているのである。そしていきなり地表に噴出して視界をさえぎり、存在から迅速な動きを奪い、未来への展望を廃棄せしめる「水」の奔流と親しく戯れながら、説話論的時間の大がかりな停滞の跡に拡がりだす淀んだ環境として姿をみせ、決して対岸へと人を導くことなくその中間に宙吊りにしてしまう「橋」は、混濁したドン・シーゲル的世界にこの上なくふさわしい風景をかたちづくることになるのだ。>*2
この橋の上からのダイブ場面は、しかし、わざわざセーヌ川まで遠征しなくても、英国国内でも撮れる場所はじゅうぶんあっただろうし、そのほうが予算的にもずっと安上がりで済んだはずなのだから、このパリ/セーヌ川ロケは「B級アクション職人」ドン・シーゲルにしてみれば、説話的にも予算的にもやはり無駄足だったと、責められても仕方のないところがある。*3
しかし、そんな無駄足を踏んでまで撮られたセーヌ川ダイブ場面は、橋の下を船が通るタイミングのよさと、夜のセーヌ川の闇に飛び降りる人影が形成する主題論的組み合わせから、落下地点が水面ではなく船上であるという違いや、昼と夜という違いを超えて『素晴らしき放浪者』(ジャン・ルノワール、1932)のミッシェル・シモンのセーヌ川ダイブ場面の記憶を呼び寄せていることに注目しなければならない。そして、それはセーヌ川とドン・シーゲル的「橋」の主題とを組み合わせることによって「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちが『素晴らしき放浪者』のルノワールから継承し損ねたものを、思わぬかたちで浮かび上がらせていることを強調しておく必要があるだろう。
『素晴らしき放浪者』の映画的魅力については、1930年代当時としては例外的なロケーション撮影によって捉えられたパリの情景の生々しさ、ということがすでに多く語られている。同時代にパリを舞台にして撮られた、ルネ・クレール、ジャック・フェデ、マルセル・カルネらの諸作品では、ラザール・メールソンやアレクサンドル・トローネといった美術監督が設計したセットによって人工的に再現されていたパリの街並みが、ここではロケーション撮影によって直接カメラに捉えられているのだから、その映画的なリアリティは格段のものがある。
また蓮實重彦が指摘するように、『素晴らしき放浪者』のカメラが捉えたパリの情景には、都市ロケーション一般の魅力には解消しがたい、独特の生々しさがある。室内から望遠鏡で街並みを見ていた書店主が、溺れていた浮浪者を目撃・救出して自宅に招き入れる、というように、そこでは、見ることが触れることにつながり、外部の光景が距離を欠いた触覚的環境として室内に侵入してくる「戸外と室内との通低」というべき現象が起きている。
この遠近法的秩序を欠いた、内部と外部の侵犯/逆転運動をはらんだ「戸外と室内との通低」現象の舞台としての都市に、ゴダールやトリュフォーら、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のパリを先取りする「痕跡都市パリ」を蓮實氏は見出している。さらに蓮實氏は『素晴らしき放浪者』を『アタラント号』(ジャン・ヴィゴ、1934)とともに、この「痕跡都市パリ」を、「ヌーヴェル・ヴァーグ」に約30年先駆けて、フィルムに定着させた「アルシ=ヌーヴェル・ヴァーグ」として映画史的な位置づけをおこなっている。*4
しかしながら「水から救われたブーデュ」という原題が示すように、『素晴らしき放浪者』の映画的に最も重要なポイントは、ミッシェル・シモン演じる浮浪者がセーヌ川に飛び込むところにある。
山田宏一が端的に指摘するように、ミッシェル・シモンは<川にとびこむだけで、ブルジョワ階級にもぐりこみ、また川にとびこむだけでブルジョワ階級から抜け出て浮浪者に舞い戻るのだ>。*5
山田氏はさらに、ジャン・ルノワール『自伝』から「映画と川の流れを結びつける絆」という言葉を、ルノワール映画のエッセンスを表すものとして引き出すのだが、ここではあえて、このルノワール自身の美しい言葉を「痕跡河川セーヌ」と言い換えることで、『素晴らしき放浪者』の映画史的な位置の再確認をおこなってみたいと思う。
「痕跡河川セーヌ」とはただの川ではない。それはパリという都市のただ中を流れる水路である。川の上には橋がかかり、川岸には自動車が往来する道路が通っている。川の上には運搬船や遊覧船が通り、それらの船は橋の下を通過することで、橋の上の道路と立体交差する交通網を形成している。
『素晴らしき放浪者』でミッシェル・シモンが飛び込んだのは、「痕跡都市パリ」を実際に流れる川なのであって、それはラザール・メールソンやアレクサンドル・トローネのセットによっては絶対に再現不可能なものである。『素晴らしき放浪者』のロケーション撮影は、何よりもこの「痕跡河川セーヌ」での水難救助アクション場面のために欠かせないものだったのだ。
<川にとびこむだけで、ブルジョワ階級にもぐりこみ、また川にとびこむだけでブルジョワ階級から抜け出て浮浪者に舞い戻る>ミッシェル・シモンだが、1回目は橋の上から飛び降り、2回目はボートの転覆と、その川へのとびこみ方を演じ分けていることに注目しなければならない。
ミッシェル・シモンはその初回のとびこみにおいて、橋を渡りきることなく、その中途で川に飛び降りているのだから、まさにここでは<「橋」は、渡るという水平の運動を始動せしめることなく、飛び降りるという垂直の運動の契機として敷設されている>。
『ドラブル』のマイケル・ケインの船上ダイブは、ミッシェル・シモンの「痕跡河川ダイブ」を遠く変奏していたわけだが、両者の共通点は、川と橋のほかに、もうひとつ、「川船」の存在がある。『素晴らしき放浪者』では、川の上を進む遊覧船が川に飛び込んだミッシェル・シモンの救援に一役買い、橋の上の群集の視線を浴びながら、ボートで川岸に引き上げられる。またミッシェル・シモンやマイケル・ケインは橋を渡りきることなく飛び降りるので、橋は確かに<飛び降りるという垂直の運動の契機として敷設されている>のだが、マイケル・ケインは運搬船に飛び乗り、ミッシェル・シモンはボートで川岸に救出されるのだから、ここでは橋と川と船との活劇的組み合わせが、垂直立体交差した交通機関を形成していると見なすべきだろう。
ミッシェル・シモンは、ただ闇雲に橋の上からセーヌ川に飛び込んだたわけではない。いや、ただ闇雲に飛び込んだとしても、その結果、橋と川と船との組み合わせからなる、垂直立体交差式の映画的/活劇的「交通機関」をセーヌ川に形成することに成功したのだ。
この橋と川と船の垂直立体交差のイメージ構造を「痕跡河川セーヌ」と呼びたいのだ。『ドラブル』のマイケル・ケインは、この「痕跡河川セーヌ」を夜の闇の中で密かに反復/変奏するためだけに(?)、ドーヴァー海峡を越えてパリに現れたに違いないのだ。
しかしなぜ、わざわざフランスロケまでして、『ドラブル』でドン・シーゲルがルノワールの「痕跡河川セーヌ」を反復/変奏しなければならなかったのか。それは、この「痕跡河川セーヌ」が、ルノワールを継承したはずの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちの映画から抜け落ちていたからである。彼らがルノワールから継承したはずの「痕跡都市パリ」には、ミッシェル・シモンが飛び込みを演じた「痕跡河川セーヌ」が欠けていたのである。*6
ふだんはパリをロケ地にしながら、いざ水辺の撮影となると、なぜか地中海沿岸、大西洋沿岸、さらにはスイスの湖岸に遠征してしまう「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品群において、活劇的環境としての「痕跡河川セーヌ」はもちろん、ルノワール的な「映画と川の流れとを結びつける絆」は、「痕跡都市パリ」以上に抑圧・隠蔽されてきたとさえいえよう。それはまた、「川船映画」の傑作としての『アタラント号』に対する抑圧でもある。*7
ジャン・ヴィゴを中心とした「フランス戦前派」における「流水への好み」について語るジル・ドゥルーズなら、ひょっとしたらこの「痕跡河川セーヌ」に対する感受性を持ち合わせているかもしれない。
<ジャン・ルノワールにおける流水への好みがしばしば話題になった。(…引用者略…)流水への好みはフランス戦前派全体がもっていた好みである。フランス戦前派においては、それは、川とその流れの場合もあるし、運河とその閘門および川船の場合もあるし、海、海と陸との境、港、光を投じる灯台の場合もある。>*8
だがしかし、同じ水辺といっても、川と海と湖沼では、映画的質感、強度がまったく違ってきてしまうことにも注意しなければならない。こうして、ジャン・ヴィゴ『アタラント号』(1934)とジャン・グレミヨン『曳き船』(1941)を主要な例として論じながら、<命題記号が、イメージを孤立させ凝固させるフレームをつくりあげていたのに対し、流動記号は、液体に生成するイメージ、すなわちフレームを貫いて、あるいはフレームの下で通過するイメージを指し示していた。カメラ-意識は、流れる知覚のなかで現働化し、こうして物質的規定に、つまり流れ-物質に到達していたがゆえに、流動記号に生成していたのである。>*9と、「流水への好み」から「流動記号」という概念、すなわち「イメージを孤立させ凝固させるフレームをつくりあげていた」「命題記号」とは異なる、「液体に生成するイメージ、すなわちフレームを貫いて、あるいはフレームの下で通過するイメージ」としての「流動記号」という新しいイメージの概念を提示している。
「流水への好み」から始めて、ヴィゴやグレミヨンを例に挙げながら「流動記号」という新しいイメージの概念を提示する、ここでのドゥルーズの手つきは鮮やかなものだ。しかし「流水への好み」「流動記号」という概念的な括り方によって、川と海という、映画においてまったく異質な水・液体の2大イメージが一緒くたにされるとしたら、それは見過ごすことのできない重大な過失になるだろう。
映画における水・液体のイメージとしての海と川の違いは、決定的なものであると同時に単純なものである。それは、川を舞台にした『アタラント号』『素晴らしき放浪者』と、海を舞台にした『曳き船』とを見比べてみれば、一目瞭然だろう。
まず上流から下流へ一方的に流れる川と、海面全体が波しぶきをあげる海とでは、流水の質がまったく違うし、その水深の差からくる危険度もまったく違う。
常に左右両岸に陸地・川岸が見える川と、いったん沖に出ると、遠方に陸地・沿岸がかすかに見えるか見えないかという海とでは、陸地との距離関係もまったく違う。
陸地との関係で違うのは距離だけではない。『曳き船』のジャン・ギャバンとミッシェル・モルガンが海岸を散策するシーンの砂浜の抽象的な映像を思い出してみればわかるように、海と川とでは、水と陸地とが接する境界領域のあり方がまったく異なっている。海では砂浜のような抽象的、あるいは断崖のような断絶的な境界領域によって、陸地とは非連続的な水・液体のブロックを形成しているのだ。
さらに川と海とが決定的に違うところは、川には橋が架かり、橋の上には人が往来し、橋の下には川舟が往来し、しかもしばしば橋から人やものが川に落ちることで、立体的、交差的な映画的運動を引き起こすという、その活劇的な環境のあり方である(海に比べて川は、活劇的アフォーダンスが高い環境である、という言い方もできる。映画の活劇的環境の在り方、視線・動線の接続の文法は、一連の「アフォーダンス理論」と親和性が高い)。*10
『素晴らしき放浪者』で、浮浪者ミッシェル・シモンが古書店のブルジョワ一家に居候するきっかけとなったのも、シモンが橋の上からセーヌ川へ飛び込むのを、古書店主が目撃したからだったことを思い出そう。だいたい橋から飛び込まずに岸から川に入水したのでは、映画的な事件になりようがないではないか。シモンが飛び込んだセーヌ川には川蒸気船が航行し、そのショットがまた生々しいのだが、ここでルノワールが発見したのは「痕跡都市パリ」である以上に橋と川と船がエロチックなまでに生々しく立体交差する「痕跡河川セーヌ」であることを、あらためて強調しておきたい。*11
また『ドラブル』のドン・シーゲルとマイケル・ケインがあっけらかんと反復・変奏したように、「痕跡河川セーヌ」という垂直立体交差イメージ構造は、「フランス戦前派」はおろかフランス映画に特権的に属するものではない。それは橋と川と船との組み合わせがあれば、世界中どこでも反復/変奏可能なものなのだ。*12
たとえば『ションベンライダー』(相米慎二、1983)。
河合美智子と原日出子が橋の上から貯木場に飛び込む決定的な場面もまた、貯木場での川に浮かぶ木材が筏=船となって川の上での奇跡的な銃撃戦を可能にしていることを見れば、橋と川と船の立体交差運動による「痕跡河川セーヌ」の過激な反復/変奏といえるのではないだろうか。『ションベンライダー』では水路沿いを走ってくる車、岸辺のトロッコと、陸路への接続がまた絶妙である。
相米慎二はジャン・ルノワールに劣らず「永遠に新しい波」である。*13
「痕跡河川セーヌ」は、ジャン・ルノワール本人が渡米し、インドを舞台に『河』を撮ったように、フランス本国以外にその継承者を見出してきたが、『ポン・ヌフの恋人』(レオス・カラックス、1991)のジュリエット・ビノシュとドニ・ラヴァンのポン・ヌフからのセーヌ川「無理心中ダイブ」によって、ようやく本家本元(?)において、フランス人継承者を得ることができた。*14
もしレオス・カラックスが「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちに対して映画的優位性をもっているとしたら、それは何よりも『ポン・ヌフの恋人』のラストシーンで「痕跡河川セーヌ」を祖国に復帰させたことによるものだろう。しかも、ジュリエット・ビノシュとドニ・ラバンを川から救いあげる、老夫婦が操縦する運搬船が、アタラント号を思わせる古い型の船なのがまた泣かせるところだ。*15,*16
*1:https://www.youtube.com/watch?v=DV8BcV9wWcM
*2:蓮實重彦「ドン・シーゲルとリチャード・フライシャー、または混濁と透明」、『映像の詩学』、205-6頁、ちくま学芸文庫、2002
*3:デルフィーヌ・セイリグの無駄脱ぎ(?)も見られる。
*4:蓮實重彦「ジャン・ルノワール、または触覚都市の痕跡 『素晴らしき放浪者』をめぐって」、『映像の詩学』97‐134頁、ちくま学芸文庫、2002
*5:「素晴らしき放浪者 ジャン・ルノワール」『山田宏一のフランス映画誌、99頁、ワイズ出版、1999
*6:『突然炎のごとく ジュールとジム』(フランソワ・トリュフォー、1962)でのジャンヌ・モローの夜のセーヌ川ダイブという例外はあるが、そこには船との組み合わせによる新たな水平運動への接続が欠けている。
*7:そもそも「ヌーヴェル・ヴァーグ」のパリは、「川=水の作家」ジャン・ルノワールの「痕跡都市パリ」を直接継承したものというよりは、ロベルト・ロッセリーニ的な「男と女と一台の車とカメラがあれば映画ができる」都市という面の方が強い。ちなみに、ヴィゴやルノワールから引き出せる映画的教訓とは「川と一隻の船とカメラがあれば映画ができる」ではないだろうか。
*8:ジル・ドゥルーズ(財津理ほか訳)『シネマ1* 運動イメージ』、138頁、法政大学出版局、2009
*10:J・J・ギブソン『生態学的視覚論』サイエンス社、佐々木正人『アフォーダンス』岩波科学ライブラリー、河野哲也『エコロジカルな心の哲学』勁草書房、等を参照
*11:『素晴らしき放浪者』に本当にふさわしい邦題は『セーヌ川淫乱戦争』だと思う。
*12:映画史ではなく、映画の分類学を目指したという『シネマ』において、フランス、ドイツ、ロシアといった国民国家的な分類綱目が映画作品に安易に適用されているのは実に困ったことだ。どうせ分類するのなら『素晴らしき放浪者』『アタラント号』のほかにも、『周遊する蒸気船』(ジョン・フォード、1935)、『ヴォルガ・ヴォルガ』(グリゴリー・アレクサンドロフ、1938)、等々、1930年代に「川船映画」が世界中で撮られたことの方に注目すべきだろう。『出来ごころ』(小津安二郎、1933)のラストでも坂本武が船から川に飛び込んで泳いでいたし、『風の中の子供』(清水宏、1937)のたらいによる川下りも「川船映画」のヴァリエーションだろう。「川船映画」の傑作は『果てしなき蒼空』(ハワード・ホークス、1952)、『狩人の夜』(チャールズ・ロートン、1955)、『ティタシュという名の河』(リッティク・ゴトク、1973)等、その後も撮られてはいるが、「海洋船舶もの」と比べると、圧倒的に少数派(マイナー)である。https://www.youtube.com/watch?v=IUASNlvcXsk、https://www.youtube.com/watch?v=cKIDIgTmI0Q、https://www.youtube.com/watch?v=KXU3ybL3jqE、https://www.youtube.com/watch?v=iFzTBPy7nl8、https://www.youtube.com/watch?v=LdNGEwchMvw
*13:また近年の日本映画では『相棒 劇場版 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』(和泉聖治、2008)で寺脇康文が臨海大橋からダイブして、爆弾付きモーターボートの突入を防ぐ場面が、小規模ながら橋と川と船の立体交差の一例となっている。
*14:しかしながら『素晴らしき放浪者』の結婚式でかかっていた音楽が「美しき青きドナウ」だったことを思うと、「セーヌ」や「フランス」にこだわることにはぜんぜん意味がないのかもしれない。
*15:「ヌーヴェル・ヴァーグ」には欠けていた「川船映画」の傑作を撮った映画夫婦作家の最新=最終作『ジャン・ブリカールの道程』(ジャン=マリー・ストローブ,ダニエル・ユイレ、2008)の映画的衝撃も、まだまだ記憶に新しいところだ。また「流動記号」的な海岸のイメージを示した作品としては『オルエットの方へ』(ジャック・ロジェ、1970)が必見。名作『アデュー・フィリッピーヌ』(1962)のジャック・ロジェの名前はなぜか『シネマ』には載っていないが、『オルエット』こそ「ドゥルーズ的海岸バカンス映画」(?)の傑作である。http://www.youtube.com/watch?v=hUY0_ix3rGM
*16:2017年広島国際映画祭で川船映画の傑作『ツバメ号とシジュウカラ号』(アンドレ・アントワーヌ、1920)が新たに発掘・紹介された。世界中にはまだ未知の川船映画の傑作が埋もれているに違いない。http://hiff.jp/archives/3872/、https://www.youtube.com/watch?v=rW9Gqw6ZXtw