『接吻』(万田邦敏)

ネタバレ注意!http://seppun-movie.com/

https://www.youtube.com/watch?v=KMpDB2AdhB8
どうも『接吻』の細部と細部のあいだには魑魅魍魎が潜んでいるようだ。なぜ108分あまりの劇映画のレビューにこんなに手こずっているのか自分でもよくわからない…。
本当なら3回で終わる予定だったのが、4回を越えてしまったし、他に書きたいこともあるので、『接吻』については、入れ替えなしの再見の機会を得た際(たぶんDVD発売時)に、あらためて論じなおしたいと思うので、このレビューはここでいったん中断させていただきます。
ただいくつかの論点は、以下に挙げておきます。
・「あの人の声が聞きたい」「あなたの声が聞きたいのです」という小池栄子豊川悦司に対する「恐怖のリクエスト」は、仲村トオルの「すべてを話してください」という脅迫メッセージと共犯関係を結んで、豊川の「黙秘パフォーマンス」「控訴保留」戦略を挫折させ、結果的に豊川・小池・仲村の3人を破滅に導くということ。まるで『恐怖のメロディ』(クリント・イーストウッド、1971)で「Play Misty For Me」という「恐怖のリクエスト」が結果的にクリント・イーストウッドジェシカ・ウォルター、ドナ・ミルズの3人を破滅に導いたように。
・公判での豊川の「ありません」発言に対する小池栄子の充足感に満ちた笑みと、豊川から控訴を勝ち取った仲村トオルの記者会見での会心の笑みとの対位法的な重なり合いに注視するならば、豊川の「黙秘パフォーマンス」「控訴保留」戦略に対して、それを挫折させようとする、小池と仲村との奇妙な共犯関係も認めざるを得なくなるだろう。
豊川悦司との婚姻届を、結婚に激しく反対する仲村トオル小池栄子が強引に預けて階段を立ち去る印象的な場面、あの場面では小池栄子が応接室のドアを出ると、そこは屋内の変形の回廊形式の下り階段になっていて、仲村トオルが階段の途中で小池栄子の肩をつかんで「あなたの一途さが心配なんです」と引き止めるが、小池栄子は「どうして私のことをそんなに気にかけるんですか」と睨み返すと、仲村を置いてけぼりにして、1つ下側の段の、仲村のいる段とは直角に交差する階段をひとり降りて去っていく。この小池・仲村によって演じられた階段の場面は、豊川悦司によるもう1つの階段の場面、小池栄子から接見でブランコの話を聞いた豊川悦司が、接見室のドアから出た階段で、まるで笠智衆か大友柳太郎のような不器用さですすり泣き、付き添いの看守に肩を優しく叩かれる場面と構造的に対応している。『接吻』で、屋内の階段の場面はこの2つしかないし*1、しかもともに室内での会話がドアの開閉によっていったん打ち切られたあとに、その続きもしくは感情的リアクションがそのドアの外側の屋内の階段で演じられるのだから、明らかにこの2つの階段の場面を含むシークエンスは、構造的に対応している。そして、この2つの階段の場面の対応関係が明らかにするのは、小池栄子豊川悦司という「獄中結婚夫婦」のあいだにおける決定的な離反である。階段で肩に手をかけた仲村トオルを睨み返した小池栄子と、階段で看守に肩をたたかれて涙ぐむ豊川悦司とでは、その夫婦関係が維持しがたいのは、もはや明白だろう。豊川がこの場面からまもなく、小池が睨み返した仲村に、小池にはまったく語っていない犯行現場の状況を告白し、小池に無断で控訴手続きを容認するのは、作品の構造上、当然の流れというしかない。
小池栄子無人の公園でブランコをこぐ場面は『ピクニック』(ジャン・ルノワール、1936)と安易に関連付けるべきではないと思う。まず『接吻』でブランコが最初に登場するのは豊川の逮捕場面であること、雨のなか傘を差した小池栄子が、その豊川が腰掛けていたブランコをみつめるショットを忘れるべきでないだろう。小池にとってブランコとは、乗るものである前に、まず見るものとして、そして豊川に語るべきものとして存在しているのだ。それは決してルノワール的な、距離を欠いた、無媒介な主客融合可能な乗り物ではない。利き手の主題系から見ると、ブランコは左右両手で握らなければならないことから、それは利き手の左右の固定性を、文字通り宙吊りにする装置でもある。ブランコを一緒にこぐ女の子も、どこから現れたのかわからない。まるで幽霊のように無言で、白い歯を見せて笑っているようにみえるが、この場面で聞こえてくる音声は、小池栄子の甲高い笑い声とブランコの軋む音だけで、女の子の笑い声がまったく聞こえないのはなんとも不気味だ*2。また、このブランコの公園を覆う曇天に関しては、蓮實重彦の「曇天のサスペンス」という指摘を全面的に受け入れたい。
(以下、別稿)

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*1:厳密にいえば豊川悦司が坂本家の玄関に侵入した場面に2階へ上がる階段が一瞬映っているが、ここで重要なのは階段よりも、家の奥へ侵入していく豊川を俯瞰で捉えたカメラポジションである。またこの場面で、奥さんの声だけが聞こえてその姿が画面に映らないのは、『ありがとう』(2006)で、小さい娘連れの豊川悦司が、地震で全壊した家屋の下に埋もれた、声だけが聞こえる妻を狂ったように助けだそうとする場面を想い出させる。

*2:『接吻』に出てくる女の子のイメージは、すべて『ありがとう』で両耳を塞いでいた豊川悦司の小さな娘から来ているような気がしてならない。